October 27, 2006 煮込みラーメン
今朝も相変わらずのご機嫌斜め向き。
笑顔で「おはよう~!」って言いたいけど顔がひきつる・・・。
が、やっぱ、ヤツの穏やかぁ~な懐には参る。
食事の準備ほか、奥さんとしての仕事は放棄したくないので、ひとまず朝食の準備は完了。
で、ヤツが食事する間、天照大神の如く、部屋にこもって出なかったの。
したらば、食事を済ませてドア越しに話しかけてくる。
なんとなく・・・ドアを開けて・・・今回もあえなく解決。
結局、いつもの如く、私がひとりでわめいてたってこと。
夕食は。。。久々に(ってことでもないんだけど、彼にとっては久々らしい)「お酒飲みたい^^」って言うから、ちょびっとメニュー変更。
私はラーメンが食べたくなってたし。
ラーメンって、日本のラーメンね。
こっちのインスタントやカップラーメンじゃないヤツ。
"煮込みラーメン"を持って来てるから、今回はそれ。
玄関から出て下を見たら"たこ焼き"があったらしく、焼酎を買いに行く時にgetしてくれた♪
「懐かしい?」って訊くから「懐かしいねぇ~、ソースは我が町のソースだわ♪」って答えた。
「あ~!持って来てるソース!」ってさ!
そそ^^ 持って来てる。
やっぱ、히로시마 사람だから^^
それにしても良く覚えてるなぁ、持って来てるの。
そういえば、最近、パジョンやピンデトックは、このソースじゃなきゃ食べれないらしい。
最初は「うえっ”」って言ってたのにね。
そして。。。今日は、これまた久々"ベランダ屋台"にて有意義に食事しました^^
なんだらかんだらあっても、やっぱ、夫婦なんだよね、って感じた一日。
笑顔で「おはよう~!」って言いたいけど顔がひきつる・・・。
が、やっぱ、ヤツの穏やかぁ~な懐には参る。
食事の準備ほか、奥さんとしての仕事は放棄したくないので、ひとまず朝食の準備は完了。
で、ヤツが食事する間、天照大神の如く、部屋にこもって出なかったの。
したらば、食事を済ませてドア越しに話しかけてくる。
なんとなく・・・ドアを開けて・・・今回もあえなく解決。
結局、いつもの如く、私がひとりでわめいてたってこと。
夕食は。。。久々に(ってことでもないんだけど、彼にとっては久々らしい)「お酒飲みたい^^」って言うから、ちょびっとメニュー変更。
私はラーメンが食べたくなってたし。
ラーメンって、日本のラーメンね。
こっちのインスタントやカップラーメンじゃないヤツ。
"煮込みラーメン"を持って来てるから、今回はそれ。
玄関から出て下を見たら"たこ焼き"があったらしく、焼酎を買いに行く時にgetしてくれた♪
「懐かしい?」って訊くから「懐かしいねぇ~、ソースは我が町のソースだわ♪」って答えた。
「あ~!持って来てるソース!」ってさ!
そそ^^ 持って来てる。
やっぱ、히로시마 사람だから^^
それにしても良く覚えてるなぁ、持って来てるの。
そういえば、最近、パジョンやピンデトックは、このソースじゃなきゃ食べれないらしい。
最初は「うえっ”」って言ってたのにね。
そして。。。今日は、これまた久々"ベランダ屋台"にて有意義に食事しました^^
なんだらかんだらあっても、やっぱ、夫婦なんだよね、って感じた一日。
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October 26, 2006 ポテトコロッケ
今日は、まともに会話してないや。
ヤツは私の機嫌取るんだけど、今回ばかりは私もしつこいぞ。
嬉しそうに「先輩から自転車もらった♪」なんてノーテンキに帰宅しやがるっ!
んで、いま、夕食を済ませて散歩がてらキーを購入に行かれたわい。
なんでも、キーが壊れてるとかで。
まあ、なんでもいいよ。
昨日と同様、食事の準備をしてる時が心が落ち着く。
じゃがいもがたくさんあるから今夜はポテトコロッケだ。
本来ならフライにするからコロッケなんだろうけど、私は油コッテリが苦手。
よって、フライモノはパン粉にサラダ油をまぶして、それを衣にしフライパンで焼くって作業をする。
結構、フライチックに出来上がるんだわ。
んで、油分少々カット。
メニューがメニューだから早々に準備完了。
久々に食育の勉強もしてみた。
やっぱ、好きなことに時間を費やすって幸せ♪
あ・・・好きなことと言えば、サイトの再開準備もせねば。
そろそろ、本気でタグに取り組むかな。
それにしても、夕食メニューのブログになってんね。
ヤツは私の機嫌取るんだけど、今回ばかりは私もしつこいぞ。
嬉しそうに「先輩から自転車もらった♪」なんてノーテンキに帰宅しやがるっ!
んで、いま、夕食を済ませて散歩がてらキーを購入に行かれたわい。
なんでも、キーが壊れてるとかで。
まあ、なんでもいいよ。
昨日と同様、食事の準備をしてる時が心が落ち着く。
じゃがいもがたくさんあるから今夜はポテトコロッケだ。
本来ならフライにするからコロッケなんだろうけど、私は油コッテリが苦手。
よって、フライモノはパン粉にサラダ油をまぶして、それを衣にしフライパンで焼くって作業をする。
結構、フライチックに出来上がるんだわ。
んで、油分少々カット。
メニューがメニューだから早々に準備完了。
久々に食育の勉強もしてみた。
やっぱ、好きなことに時間を費やすって幸せ♪
あ・・・好きなことと言えば、サイトの再開準備もせねば。
そろそろ、本気でタグに取り組むかな。
それにしても、夕食メニューのブログになってんね。
October 25, 2006 鯖の味噌煮
早朝から、むっちゃ気分が悪い。
体調不良ということではなく、「不愉快だ」ということ。
なんでかな・・・。
なんで、いつもああなんだろ。
「家族を守ったことはない」とか言いながら、私の話にはいつも否定的。
そして、「キミの考え方に問題がある」とか「受け取り方に問題がある」とか言われる。
これって、結局、家族を守ってるってことでしょ?
私は、そういう話以前に私の心を理解して欲しい、このようにお願いしている。
が、毎度のこととはいえ、家族のことになると異常なほど感情的になる。
最初は理解できなかったけど(勿論、今でも理解はしていない)、今では「あー、又始まった」と感じるまでに私も成長した。
とにかく、私たちの間に彼の「家族」が介入すると、いつもいつもそのことが原因でケンカになる。
二人のことでのケンカなら仕方ないと思う面もあるが、「何故、いつも彼の家族のことで?」と考えるとアホらしい思いがしてくる。
アホらしいと思うなら放っておけばいいのだが、私にも私の気持ちや意思ってぇモンがあるので伝えたくなる。
ただそれだけのことなのに、「家族の気持ちが解らないキミの心に問題がある」とか言われるから疲れるし頭にも来る。
じゃあ、言わせてもらうけど、「アンタは私の気持ちが解ってんの?」ってことだ。
「誰よりもキミの心は解る」と言いながら、いつも肝心な時には家族の味方。
家族の言葉のフォローに必死。
これのどこが「キミの味方で、今まで一度もキミより家族を優先に考えたことがない」だ?!
私の心が解るなら、一度でも私の味方になってくれてもいいんじゃないか?!
一日、私の機嫌は斜めに向いたまま。
帰宅時の彼の手にはクラッカー菓子が握られていて、「ごめん。よく考えたら自分が悪かった」と言いやがる。
今朝、私が「今は、ご飯を食べるよりクラッカーとかビスケットのような軽いお菓子が食べやすくて美味しい」と言ったもんで、覚えていたのか、機嫌取りのためかは不明だが帰宅途中買って来た。
私、料理は好き。
決して味に自信があるとか、私が作るのが美味しい♪
なんていうのではなく、単に作ることが好き。
吐き気を圧しながらも「今夜は鯖の味噌煮」にしよう~!と決め、億劫さは感じつつも斜めに向いた機嫌は、料理をすることでそこそこ真っ直ぐに向いていた。
が、そんな時に帰宅。
急速に意気消沈。
手を加えず、ちゃっちゃと「鯖の味噌煮」を完成させた。
でも、その割りに美味しかったので満足^^
私の料理は薄味だから、韓国人の彼の口には合わないはず。
・・・そんなん知ったこっちゃないわい。
今までは気にしてた。
「気に入るモノを作らなきゃ」って。
でも、一生懸命に作っても、彼から、心からの「美味しい♪」を今までに一度も聞いたことがない。
そんなことを考えると、「もう気にせんとこ。私のスタイルで食育に沿って作る」っていう思いになった。
食べたくないなら食べなくていいし、母上の料理が食べたいなら行って食べればいい。
そう思ってる。
一日の不愉快さで、半ばヤケクソで作った「鯖の味噌煮」だったが美味しかった。
と、いうことで今日を締めくくる。
体調不良ということではなく、「不愉快だ」ということ。
なんでかな・・・。
なんで、いつもああなんだろ。
「家族を守ったことはない」とか言いながら、私の話にはいつも否定的。
そして、「キミの考え方に問題がある」とか「受け取り方に問題がある」とか言われる。
これって、結局、家族を守ってるってことでしょ?
私は、そういう話以前に私の心を理解して欲しい、このようにお願いしている。
が、毎度のこととはいえ、家族のことになると異常なほど感情的になる。
最初は理解できなかったけど(勿論、今でも理解はしていない)、今では「あー、又始まった」と感じるまでに私も成長した。
とにかく、私たちの間に彼の「家族」が介入すると、いつもいつもそのことが原因でケンカになる。
二人のことでのケンカなら仕方ないと思う面もあるが、「何故、いつも彼の家族のことで?」と考えるとアホらしい思いがしてくる。
アホらしいと思うなら放っておけばいいのだが、私にも私の気持ちや意思ってぇモンがあるので伝えたくなる。
ただそれだけのことなのに、「家族の気持ちが解らないキミの心に問題がある」とか言われるから疲れるし頭にも来る。
じゃあ、言わせてもらうけど、「アンタは私の気持ちが解ってんの?」ってことだ。
「誰よりもキミの心は解る」と言いながら、いつも肝心な時には家族の味方。
家族の言葉のフォローに必死。
これのどこが「キミの味方で、今まで一度もキミより家族を優先に考えたことがない」だ?!
私の心が解るなら、一度でも私の味方になってくれてもいいんじゃないか?!
一日、私の機嫌は斜めに向いたまま。
帰宅時の彼の手にはクラッカー菓子が握られていて、「ごめん。よく考えたら自分が悪かった」と言いやがる。
今朝、私が「今は、ご飯を食べるよりクラッカーとかビスケットのような軽いお菓子が食べやすくて美味しい」と言ったもんで、覚えていたのか、機嫌取りのためかは不明だが帰宅途中買って来た。
私、料理は好き。
決して味に自信があるとか、私が作るのが美味しい♪
なんていうのではなく、単に作ることが好き。
吐き気を圧しながらも「今夜は鯖の味噌煮」にしよう~!と決め、億劫さは感じつつも斜めに向いた機嫌は、料理をすることでそこそこ真っ直ぐに向いていた。
が、そんな時に帰宅。
急速に意気消沈。
手を加えず、ちゃっちゃと「鯖の味噌煮」を完成させた。
でも、その割りに美味しかったので満足^^
私の料理は薄味だから、韓国人の彼の口には合わないはず。
・・・そんなん知ったこっちゃないわい。
今までは気にしてた。
「気に入るモノを作らなきゃ」って。
でも、一生懸命に作っても、彼から、心からの「美味しい♪」を今までに一度も聞いたことがない。
そんなことを考えると、「もう気にせんとこ。私のスタイルで食育に沿って作る」っていう思いになった。
食べたくないなら食べなくていいし、母上の料理が食べたいなら行って食べればいい。
そう思ってる。
一日の不愉快さで、半ばヤケクソで作った「鯖の味噌煮」だったが美味しかった。
と、いうことで今日を締めくくる。
October 24, 2006 天気はいいけれど・・・
一昨日、昨日は風が強く寒かった。
今日はガラッと変わって穏やかな好天。
それはそれで良いのだけれど、なんせ、体調が。
予定してた신도림への用事は勘弁してもらった。
今日の天気の良さに「気分転換になれば」との思いもあったけど、やっぱ、外出しかけると吐き気が来ちゃって。
ほんっと、久々に本なんぞに親しむ一日にしてみた。
大好きな宮本輝氏の著書。
買い溜めしてたヤツ。
昨年初夏から本を開く時間も余裕もなくて、買ったのはいいけど、輝さんに限らず読めていない作品が結構ある。
今回、そういうのを数冊持って来てるから良かった。
夕方、시어머니からtelあり。
明日、一緒に病院っていうところに行ってくださるらしい。
なんか・・・行きたいような、行きたくないような。
でも、いずれにしてもハッキリしなきゃなんないことだから仕方ない。
今日はガラッと変わって穏やかな好天。
それはそれで良いのだけれど、なんせ、体調が。
予定してた신도림への用事は勘弁してもらった。
今日の天気の良さに「気分転換になれば」との思いもあったけど、やっぱ、外出しかけると吐き気が来ちゃって。
ほんっと、久々に本なんぞに親しむ一日にしてみた。
大好きな宮本輝氏の著書。
買い溜めしてたヤツ。
昨年初夏から本を開く時間も余裕もなくて、買ったのはいいけど、輝さんに限らず読めていない作品が結構ある。
今回、そういうのを数冊持って来てるから良かった。
夕方、시어머니からtelあり。
明日、一緒に病院っていうところに行ってくださるらしい。
なんか・・・行きたいような、行きたくないような。
でも、いずれにしてもハッキリしなきゃなんないことだから仕方ない。
October 23, 2006 覚書 第二部
October 23, 2006
【誕生日】
毎年のことだが、私は自分の誕生日を忘れている。
両親も記憶が薄いのだろう。
友人から「おめでとう」と言われて気付くこと多々。
が、今年はちょっと違うぞ。
数日前、彼が私の誕生日を覚えているといい、「もう直ぐ」とニッコリ笑った。
そして、今朝。。。
昨日の話の翌日ってこともあって、「おはよう」のあとの言葉は「体調どう?お腹、大丈夫?」だった。
しかし、そのあと、「誕生日おめでとう~!」と続いた。
素直に嬉しかった^^
そんでもって「夕食は気にしなくていいよ」って言ってもらったので幸せだった。
なんせ、今は食事を作るのがすんごい億劫だから。
午前中、農協にアパート管理費なるものを入金に行った。
そのあと、地下にある農協のスーパーで買い物。
はじめての「ひとり買い物」
だって、いつも「心配」とか「危ない」とか言うから・・・。
母上も姉上たちも「まだひとりで買い物に行ったら危険!外出はひとりでしないように!」って言う。
んなこと言ってたら、いつまで経っても独立できんよ(-"-)
彼が居なきゃ、なぁ~んも出来ん嫁さんになっちゃう。
でも、今日、ひとりでちゃんと出来たもん!
欲しいものがなかったから訊くことも出来たし、レジでの会話も問題なかったぞ。
それに、明日になれば、用事があるから、ひとりで신도림までバスと地下鉄を乗り継いで行かなきゃなんないんだからっ!
大丈夫!
私、少しずつ成長してます!
で、帰宅後、ちょびっと吐き気を覚えた。
無性に母の声が聞きたくなった。
って、殆ど毎日電話してるんだけど(笑)
それでも、やっぱ、今は不安定な身体と精神状態だから仕方ない・・・。
電話に出た母に「私の誕生日おめでとう。生んでくれてありがとう!」と言ったらば!
彼女・・・「ん?何が?」と来たもんだ(-"-)
まあ、これまでの付き合いで、どんな性格か熟知してるので驚きはしなかったが。
「あのぉ、多分、今日が私の誕生日だと思うんですけどぉ」って言ったら「あれ?あぁ、そうか!えっ?昨日よ!!!」と言いやがるっ!
「えっとぉ、たとえ昨日としてもですねぇ、昨夜、電話で話したのに『おめでとう』がなかったってことは完璧忘れてたってことしょ?!」と私。
「はっはっは!」だって!
そのあと、「無事に元気にそこまで育ってくれてありがとう」って言ってくれたから許すけどさ。
で、夕方、ここに覚書なんぞを書いた後から気分が悪くなったから横になってた。
18時頃だったかな、彼が帰宅。
彼の手にはケーキがっ!
この気持ちが嬉しい♪
「ごめんね、まだ何もしてない」って言うと「金曜日に出来た居酒屋に行こう!」って!
これまた嬉しい♪
ケーキが見たいっ!って駄々こねたけど、持参するからその時に、っておあずけ。
居酒屋さん、スタッフの皆さんがとても良かった。
店の雰囲気も勿論。
BGMは日本の歌手さんの曲。
省吾もあったりして久々の日本雰囲気を味わうことが出来た。
でも・・・飲酒できないのが・・・ちょっと残念。
不明な時期だからこそ避けていたいし。
我慢、我慢。
そんで、料理が来て。。。ケーキにキャンドル灯して。。。ふぅ~~~~~ってしようと思ったら!
「待って!」と言いながらクラッカーを出すの。
ひゃぁー、恥ずかしいから止めて、って頼んだけど、スタッフさんにお願いしてるじゃん!
スタッフさんたちも喜んでくれて「奥様の誕生日ですか?」って言いながら、私たちの席のライトを消してくれた。
続いて、クラッカーをパンッって鳴らしてくれて、一斉に拍手。
居合わせた客人たちも一緒に拍手くれた。
感動~!
んで、続いて「私たちからのプレゼントです」って日本酒をくださった。
この時のBGMはお洒落なバースデーソング。
もぉー、この心に有難い気持ちでいっぱいになった!
ケーキは、ちょこっとだけ私たちが食べる分を残して、あとの全てはスタッフさんたちにプレゼント。
幸せのおすそわけ^^
楽しく食事して会話して帰宅。
(-"-)
案の定、帰宅後の彼は果ててる。
風呂に入りたい、と言って自分で準備しながら・・・ソファで寝てる。
こういう場合、起こしても起きないことは学習してきた。
二度ほど声を掛けて揺すったけど、やっぱダメ。
掛け布団をそっと掛けといた。
좋은 꿈꾸어^^
잘자~!
【昨日の告白 】
土曜の夜、体調が良くないのに焼酎なんぞを飲むから・・・。
帰宅後、吐いちゃったりして辛そうだった。
日曜日の午後には持ち直したようだったけど、ロッテマートの買い物に付き合ってくれちゃったりしたもんで、まぁ~たぶり返してた。
そんなこんなで、「言おうか言うまいか・・・」と迷ったが、やはし、言っておかねばなるまい。
そこで、「あとで大事な話がある」と言ったら、かなりビビった様子。
帰宅後、ずっと横になってたから、気分が戻ったら夕食にしよう、て声を掛けて遅めの食事。
まあ、私の大事な話っていうのは、いつでもいいんだけど。。。
こう思ってたら「苦労ばかり掛けてごめん」って言うの。
「こっちに来て慌しく過ごしてるし、秋夕が終わっても家の掃除してくれてるし・・・食事も日本にいた時みたいに色々食べれなくて、キムチばかりだし」って。。。
「いやいや・・・そうじゃないんだよ」と心で呟いた。
「実は・・・食事については私がごめん。いま、食べる気分になれなくて。んで、作るのも億劫なの」と言った。
「体調を心配してる・・・病気になるんじゃないか、と」って、なんとカワイイことを。
んで、いよいよ告白。
「なんとなく、お腹にいらっしゃるみたいなの」
ひゃー、こっぱずかしい!
先日、母には相談してたんだな。
やっぱ、一番は母だわ。
んで、もう少し様子を見て、それでも変化なければ、母上に話して一緒に病院に行ってもらおうって。
が、母上が先が彼が先か・・・ってことで悩んでたんだ。
まだ解らないことを言うよりも医師の診断結果を聞いてからの方がいいのでは?とか、うんにゃ、やっぱ、母上よりも先に言っとかんと。。。とか。
で、やっぱ、先に言うことにした。
想像以上、喜んでくれたからビックリ!
私は、喜びと不安、および恐怖が入り混じってる。
正直、喜びっていうのはまだまだ少ない。
それ以前に実感がないから。
しかし、日に日に悪阻ってぇモンがはじまってるような・・・。
昨日あたりから自分で認識できる。
今日も気分は良くない。
吐きそうだし。
食べ物の匂いが強烈。
でも、これもまだ定かじゃない。
精神的に色々考えるから嘔吐感があるのかもしれないし。
今朝も起きて直ぐに「体調は?今日は何もしないで!掃除も洗濯もせず、横になってなさい」だって。
有難いです。
でもね、まだ横になってなきゃいけない症状でもないし、それに誤りかもしれないし、って言って笑ったの。
違ってたらスマンね!
笑って許して^^
【10月16日 ヤマト便 到着 】
午前中、銀行と農協に行った。
そのあと、ガス代の納金。
ガス代の納金が今回から機械化されたらしい。
機械が言ってくれる通りにしたら出来た^^
午後2時、ヤマト便が到着。
余談だが、日本語が完璧なスマートなお兄さんだった。
で、一応、全ての荷物のチェック。
破損物はなかったので安心。
MACとプリンタは接続してないので不安は残るが・・・。
破損箇所がなければ保険の対象ではないらしいので、無事に稼動することを祈るのみ。
MACが場所を取ってしまうので、荷物や掃除などがひと段落してからつないでみる。
彼は帰宅後、私の到着荷物の中からヨガボールを見つけて膨らませ、そして、ひとり楽しんでます。。。
今も、食後の運動に使ってる。
わっ!まくわうりを切ってくれた♪
さんくす^^
今夜も早く眠れそう。。。
【10月15日 寒い】
早朝、肌寒く感じるのは当然なんだけど・・・。
今日はとっても暖かかったらしいが、私は一日中寒かった。
日常の簡単掃除と洗濯を済ませて少し横になってたら、彼が頭のてっぺんからつま先までマッサージしてくれた。
気持ち良かった。
マッサージの資格を持ってて、特に足の裏マッサージが専門みたい。
重宝です。
マッサージのあと、足湯まで用意してくれてた。
至れり尽くせり。
感謝です。
午後から散歩を兼ねて市内へ。
最近、日本チックな店が多くなってきたな、と感じてたら、彼も同じことを言った。
家の近くにも居酒屋さんが出来てたし。
行き帰りで色々な店を偵察。
日本から友達や親戚が来られた時に、美味しいお店に連れて行ってあげたいから、良さそうな店に少しずつ行って、味を見てみよう、と言ってくれた。
その心、さんきゅ♪です。
夕食は、簡単キムチチゲ。
母上や姉上のようには出来上がらないが、それでも「韓国の味!」とか、上手でも「美味しい!」と言って食べてくれると嬉しくなる。
食後、近くの河川敷公園まで散歩。
やっぱ、ちょびっと体調が良くないんかな。
長袖の上に長袖のフリースジャケットで外出。
彼も皆さんも半袖だったり、薄手の長袖だったり。
そんなこんなで、いつもの距離の1/3程度で「今日はここまでにしようよ。。。」と訴え帰宅。
帰宅後、まくわうりの皮を剥いて食べさせてくれた。
果物の皮むきは彼担当。
なんだか、私よりとっても上手なのです。
今、お風呂を入れてくれてる。
「疲れてるんだから、早く風呂に入って暖かくして寝なさい」って。
明日はヤマトの荷物が届くし・・・。
また暫く荷解きの日々が続く。
今夜は本当に久々、今日のうちに眠れそう。
【10月15日 昨日はプチスト】
昨日、早朝、私が覚書 第一部を書いてたら目覚めた様子。
「体調はどう?熱はまだある?起きられそう?」と部屋に入ってきた。
「体調悪いし気分も悪い。でも、パソできる元気だけはある」と答え「今日は私、なぁ~んにもしたくないの。って、いうかぁ、なぁ~んにもしない。スト突入~~~!」って宣言。
この宣言を無視して「배 고파<ペゴパ>(お腹空いた)」と言いやがるっ。
「韓国人はキムチさえあればいいんでしょ?昨日、お母さんが作ってくださったキムチがあるから食べれば?」と言ってやった。
ヤツも暫く粘っていたが断念した様子。
キッチンへと出て行った。
「へ、アタシの勝利!」と後姿を見送りながらガッツポーズ!
が、間なしに食パンを片手に走ってパソ部屋に入ってくるの。
「どしたの?」って聞くと、食パン指しながらヘンな顔してる。
先日、りんごジャムを作った。
「もしや、りんごジャムがいったか?いや、まだ3日くらいのもんだろ。。。傷むには早いぞ」
そんなん考えてたら「매우 매워~~~!<メウ メウォ>(すんごい辛い)」と絶叫。
「あんた、もしや、りんごジャムと마늘<マヌル>(ニンニク)を間違えたんじゃ?」って言うと「・・・そうみたい。りんごジャムが食べたかった」ってさ。
んとに、手間が掛かるんだからっ!
確かに、りんごジャムには日本語表記しかしてなかった。
私も悪い。
しかし、ニンニク・・・匂いでわかるだろ。
mixiはひとまずおいといて、急遽、マーガリン(通常、バターは使わない)とでガーリックトーストを作った。
まあ、上手でも「美味しい♪」と言って食べてくれたから良しとする。
そんなこんなで、仕事に見送ったあと、掃除も洗濯もなぁ~んにもしなかった。
夕方、彼が帰宅。
彼の手にチキン(フライドチキン)とビールがっ!
「ねえねえ、私に食べ物見せると機嫌が直ると思ってるでしょ?」って思わず笑ってしまった。
私のプチストはここまで。
やっぱ、この方の心の広さに感服です。
そうしてたら、母上が来られた。
姉上手作りの반찬<パンチャン>(おかず)を持参。
ことずかったとのこと。
単純な私は昨日までのことがブッ飛ぶ(笑)
姉上に感謝の電話をしたのです。
母上は、これさえ置いたら、またまた私を気遣い直ぐに帰宅。
ありがたいやら申し訳ないやら複雑な心境。
んで、この時、母上が「コチュのことは心配しないでね。お母さんの所に届くように言ったから。届いたら電話するからウチで一緒に作業しよう」と言ってくださった。
「わぁー、安心しました!荷物が月曜日に届くから、どうしようかと考えていたんです」って言うと、「私はあなたの味方だから。あなたが少しでもラクなことが私は嬉しい」って。
もぉ、反省。
でも、母上、ありがと♪
金曜日にヤマトから、「書類も整ったので月曜日に税関切ります。なので、順調なら月曜日中に自宅にお届け出来ます」と電話があった。
んだもんで、ひとり悩んでたわけ。
コチュが先か荷物が先か・・・
いずれにしても、置き場がない、と。
したら、昨日、私が早々にパソ部屋に引きこもったあと、彼が母上に電話してくれたみたいで。。。
「プーインは荷物が集うから悩んでる。姉さんは荷物が来ることを知らないしプーインがどれほど疲れてるかも知らない。こっちでの生活は始まったけど、まだスタートしたわけじゃない。来るなり、冷蔵庫や洗濯機、秋夕もあって、今度は浄水器。バタバタし通し。荷物が届いて家を掃除して。。。それからがスタートだ。姉さんは一方的過ぎる。今回は母さんの家でコチュは出来ないものか?」と言ってくれたらしい。
感謝!
とりあえず、コチュも解決。
母上を見送り、夕食準備。
チキンがあるから簡単にスープやサラダを作って、毎度のベランダ屋台。
彼曰く「疲れてる時に噛み付いてくることは解ってるし、聞き流せばいいことも解ってる。言えばスッキリするし、家族に対して悪く思ってるどころか大事にしてくれてることも解ってる。でも、どういうわけか、キミの話に細かに答えたくなる」と。
私・・・「解ってるなら、『はあはあ、また始まった』と笑って聞き流してね」と。
ひとまず、今回の騒動はおわり。
・・・が、次回、コチュの問題があるからね(笑)
【覚書 第二部 】
以下もコピペ(一部、加筆修正あり)。
第一部同様、長いのでイラっちさんには不向きな内容。
■10/9(月)
こっちにきてはじめてゆっくり家で過ごした。
って、いっても一日、掃除に明け暮れたが。
夜、自宅のベランダで屋台風にして食事した。
こっちの人って、夏場は殆ど食堂やらの外で食事するの。
今でも少し寒いけど外で食事してる人を随分見かける。
そういう雰囲気が好きみたいで、家の電気を全部消して、外の明かりだけで愉しんだ^^
二番姉上から「浄水器を買ってあげる」と電話あり。
なんでも新生活スタートなので下さるらしい。
以前、何が欲しいかと聞かれていたので浄水器かトイレのビデと答えていた。
他にも色々たくさんあるけど、ひとまず間に合うし、急ぎで欲しいものはこれらくらい。
有難いです m(__)m
■10/10(火)
近所で買い物。
部屋の模様替えにあわせて、ネット工事の必要あり。
これまで秋夕で工事会社が休日。
ようやく工事に来てくれた。
こっちは日本みたいに差込じゃないの。
工事して固定するんだよ。
だから、パソを移動させるたびに工事が必要。
面倒だ。
が、無料ならしいから。
ま、いっか!
続いて洗濯機到着。
これまた、洗濯室というのが玄関横にあるんだけど、ドラム式なもんで、洗濯室の扉が邪魔になるわ、洗濯機の扉が邪魔になるわで大変。
でも、まあまあなんとか洗濯室と倉庫とで使えそう。
夕方、先述の大学教授ご夫妻と会うためソウルへ移動。
この方たち、日本人の私の気持ちも考えも心も充分に解ってくださる。
また、韓国生活が長いため、韓国人の彼のことも手に取るように解ってくださる。
ケンカするたび、お世話になってます。
夕食は의정부<議政府=ウイジョンブ>まで帰ってきて、自宅近所の店で보쌈<ポッサム>(白菜の上に茹で豚肉を乗せ、更にキムチやらニンニク、タレなどをのせて食べる)を동동주<ドンドン酒>と一緒に食べた。
まあまあ、味はそこそこ。
以前、용현동<龍峴洞=ヨンヒョンドン>の家にいた時に行った店のほうが美味!
帰宅後、彼は健やかに就寝。
これからが私の楽しみ^^
パソのバッテリーが消耗してるから「どうかなぁ」と思いながら立ち上げた。
なんとか立ち上がった!
取り急ぎ、winの設定を韓国に変更。
んだらば、難なくつながるの!ネットに!
心配してくれてる日本の友達にメールして、outlookにてニフメールを受信!
と、思いきや、途中で電池切れ!
しかし、収穫あり!
使えるんだもんね!
■10/11(水)
毎週水曜日はゴミの日。
生ゴミや一般ゴミは毎日可能。
缶やビン、段ボールや新聞などなどはこの日。
ゴミ出しデビューなので、彼を起こして一緒に行った。
午前中、一番姉上が来られた。
この時、日本の家電製品用の変電機を譲ってもらった。
嬉しい♪
姉上と一緒に母上のところへ。
母上は壊れた電話とミルミキサーの修理のためロッテマートへ行きたかったらしい。
ついでに私たちの浄水器の下見。
最初にホームプラスへ。
続いてロッテマートへ。
まあまあ、浄水器のスタイルが解ったからok!
姉上とはロッテマート前でバイバイ。
私と彼はロッテマートで買い物、母上は先に帰宅。
買い物のあとで母上宅に寄って夕食。
帰宅するや、一番姉上から電話あり。
なんでも、母上の姪婿が浄水器など家電製品を作るだか扱ってるだかの会社勤めならしく、安価で購入できるらしい。
本当にありがたい。
しかし、明日も一旦、姉上宅近所のロッテマートに行くことにした。
帰宅後、買い物をさばいた。
就寝前、winにつないだけど調子悪い。
デフラグしてみた。
■10/12(木)
ソウルの姉上宅近所のロッテマートへ。
浄水器の偵察後、ロッテマート内にある美容院へ行ってカット。
カットはイマイチかな。
ブローしてくれたお姉さんがとっても上手で満足。
翌日、自分で左右のバランスを整えながら再度カット。
これで何とか見ばえよし。
んで、夕方、姉上宅で簡単食事。
帰宅後、この日も彼提案でベランダ屋台。
・・・そして、再度ケンカ勃発。
いつもいつも彼の家族のことでケンカになる。
これまで、一度も二人のことでケンカになったことはない。
この時も、そう。
お互い、些細な言葉を理解出来なかったことが原因。
ケンカというより、いつも私が納得できなくて一方的に言ちゃうことになから、ケンカじゃないんだろうけど。
ケンカということが解り良いから。
単に、私は少しだけゆっくりしたかったの。
こっちに来て、全くもって二人でゆっくり出来る時間がない。
それどころか、私の自由になる時間もない。
開けるところ、使うところ、どこもかしこも汚くて、その都度、嫌になってる。
で、その都度、掃除してる。
ほんと、早く掃除を終わらせて新生活を始めたいわけ。
冷蔵庫や洗濯機、挙句、浄水器と。。。姉上にお世話になってるから、このことは本当に心から感謝してる。
私たちがバタバタと店を行ったり来たりするのと同じくらい、姉上もバタバタしてることも知ってるし理解してる。
でも、これとは話は別。
「有難いっていう気持ちと、毎日外出でツライって気持ちは別」
このように言ってくれるから、充分、解ってくれてるんだけど・・・ね。
なんていうか・・・
姉上宅から帰宅前に「数日うちに고추<コチュ>(唐辛子)がそこに届くから、綺麗に洗って拭いて乾燥させて가루<カル>(粉)にしてね。私は凄く忙しいの。今までひとりでしてきたの。ここに引越して来て、この家は狭いしベランダないし。。。そこが広いしベランダで水も使えるし。お母さんには言っておいたから、聞きながらやって」という話を聞かされた。
私の顔色が変わった。
「おいおい・・・ちょっと待ってくれよ。やらなきゃなんないことはやるさ。しかし、前もって予定を聞くとかしないか?」と思った。
それに、私にとっては始めてのことだ。
もっと言えば、半端な量じゃない。
5家族が一年食べる量。
それは、日本の消費量とはケタ外れ。
疲れていたが、余計にどっと疲れた。
この翌日には、母上と姉上と私の家でキムチ作りがある。
これも、私の予定は無視。
2日に到着した時には既に決まっていた。
母上は、母上の家で作ろうと思ってたみたいだけど、姉上が「ここは狭いしベランダが使えない。フナのアパートが広いしベランダで水が使えるから、あそこでしなきゃダメ」って聞こえてた。
まあ、このキムチは私たちが食べるために作ってくださるのだから仕方ない。
それにしても、だな。
なんで予定を聞いてくれんかなぁ。
日本式で考えると、予定はないにしても、一応は伺うしさ、伺ってもらえば、その日の予定も立てらるじゃん。
こういうところが強引に感じるし、私には自由がないと考えてしまうところ。
ちょっと話が脱線。
要は、私の気持ちや心や意思や予定は無視なの。
これが初めてじゃない。
だいたい、こんな感じ。
このことを言うと「韓国人だから」と彼は言う。
「韓国人は親密で仲のいい人には誰にでもこんな感じ。日本人には強引と感じるかもしれないが、決してそうじゃない。仲がいいと思ってる証拠」と言う。
じゃあ、言わせてもらう「私は日本人だ!予定を聞いてくれ!前もって『これこれしかじかだが、いかがなものか?』と聞いてくれ!」と言った。
んだら、「嫌なら嫌といえばいいし、予定があるならそういえばいい。忙しいとか疲れてるとか言えばいい」ときたもんだ。
こういう言葉を聞くと、ほんとアンタって私を解ってないね、って言いたくなる。
私は人一倍「忙しい」は言いたくない性格だ。
忙しい線引きは難しい。
人それぞれ許容範囲が違うから。
それに、忙しいのは私の勝手。
他人様には関係ないことだとも思う。
だから、私はこっちに来て「忙しい」なんて一度も言ってない。
当然、疲れてもいるさ。
父のことから思えば、彼も充分理解してくれてる。
今回、日本に滞在してた時も、荷物の準備などで寝てない日が続いてることも知ってる。
でも、私は、母上や姉上たちのように口癖のように「忙しい」とか「疲れた」は言わない。
だから、母上や姉上は、私は疲れてない人でヒマ人に見えるらしい。
いいや・・・そうじゃないかなぁ。
特に母上は本当に心から気遣ってくださるから、母上は理解してくださってるのかもしれない。
でも、韓国的習慣で日本人のような配慮までは出来ないのだと思う。
私自身、それを望んでもいけないことだけど。
とにかく、고추<コチュ>が届く日とヤマトの荷物が届く日がほぼ同じ。
どっちがか遅れるにしても、1、2日の差。
こんな中で、どうやって莫大な고추<コチュ>を洗って掃除すんの?!
また、逆に、荷物が届けば早く片したいわね!
どうあれ、この家を母上や姉上が自由に使われれば使われる度に、私の居場所じゃないと思う。
だから、全てのモノに対して使うとき緊張するし、使う前には彼に伺いを立てる。
彼は「夫婦なのに聞く必要ない」って言うけど・・・私の気持ちとして、どうしても、ここが私の家だとは到底思えない。
・・・こういう話もするもんで、話に収集つかなくなった!
日本人さんなら理解してもらえる部分だと思う。
変な話ではなく、私のモノは私のモノ、あなたのモノはあなたのモノ。。。このように立て分けてるはず。
たとえ、家族でも使うときには前もって聞くし。
それが、ここではないから・・・通用しないから居心地が悪い。
そういう文化の国を選んだのは私だから慣れなきゃならんのだろうけど、やっぱ、国の違いというより以前、人としても礼儀や配慮は必要だと考えるんだよね。
私は完璧な人間ではないし未熟者で不足なヤツだ。
しかし、そのようにしたい、なりたい、と心掛けてる。
とにかく、やっぱ、どんなに努力しても、ここは私の家じゃないし居場所じゃない。
あー、気分わるっ。
■10/13(金)
朝から母上と我が家でキムチ作り。
姉上はいらっしゃらなかった。
今回のキムチは、当面、私たち二人が食べるためのもの。
11月には半年たら食べる量をたくさんの人数集まってつくるのが韓国の伝統らしい。
きっと、この時もここを使われるのだろう・・・。
正直、ヤだな。
キムチ作りの時のことは省く。
で、母上が帰られる前に冷蔵庫を開けられて「これならキムチが3段入るね」と言われた。
「え”っ?!この冷蔵庫、4段だよ?」と素早く脳が反応。
確かに、現在、なぁ~んもない冷蔵庫だ。
しかし、私はキムチを保存するために冷蔵庫を買ったんじゃない。
やっぱ、良かったと思った。
冷蔵庫、私の持参金で買っといて。
私は辛いものが好きだ。
もちろん、キムチも好きだ。
日本人としてはたくさん食べる部類だろう。
しかし、この国の方々に比べれば・・・。
それに、この家で大量に食べるのは彼しかいない。
その彼も素食。
一度に食べるキムチの量も少ない。
それよりなにより、さっきの話。
キムチ保存のための冷蔵庫じゃないやいっ!
今は空っぽだけど、少しずつ私に必要な物が増えていくわけ。
キムチに3段も使われたら生活できんわね!
この時は彼も私の気持ちが解ったみたい。
「なくなれば都度キムチを作ればいい。これはキムチ冷蔵庫じゃない。プーイン(奥さん)が買った大事な冷蔵庫だ。今後、食べる量が増えてキムチ冷蔵庫が必要になれば、いずれキムチ冷蔵庫を買えばいいことだ(こっちには長期間保存可能な"キムチ冷蔵庫"なるものが存在。大体の家庭にある)」
こう言ってくれた彼、ちょびっとカッコ良かったけど・・・
母上、黙って下を向かれた。
私、悪いヤツみたいで心苦しかった。
なんかさぁ、疲れた。
ほんと、疲れた。
みなさんからの愛がいっぱいなのは解るの。
でもね、その人たちから私は一度に受けなきゃなんない。
母上や姉上、そして妹どの。。。5人から一度に受ける。
贅沢なことと解っていても、私にも自由が欲しいし干渉してほしくない・・・と、痛切に感じることもある。
朝から頭痛してたけど、頑張ってキムチ作りを見てたよ。
一緒に作ったわけじゃない。
私は見てるだけ・・・。
頭痛いし、哀しくて21時には家事放棄で就寝。
彼に心の中で「미안<ミアン>・・・」とつぶやきながら。
覚書 第二部 了
【誕生日】
毎年のことだが、私は自分の誕生日を忘れている。
両親も記憶が薄いのだろう。
友人から「おめでとう」と言われて気付くこと多々。
が、今年はちょっと違うぞ。
数日前、彼が私の誕生日を覚えているといい、「もう直ぐ」とニッコリ笑った。
そして、今朝。。。
昨日の話の翌日ってこともあって、「おはよう」のあとの言葉は「体調どう?お腹、大丈夫?」だった。
しかし、そのあと、「誕生日おめでとう~!」と続いた。
素直に嬉しかった^^
そんでもって「夕食は気にしなくていいよ」って言ってもらったので幸せだった。
なんせ、今は食事を作るのがすんごい億劫だから。
午前中、農協にアパート管理費なるものを入金に行った。
そのあと、地下にある農協のスーパーで買い物。
はじめての「ひとり買い物」
だって、いつも「心配」とか「危ない」とか言うから・・・。
母上も姉上たちも「まだひとりで買い物に行ったら危険!外出はひとりでしないように!」って言う。
んなこと言ってたら、いつまで経っても独立できんよ(-"-)
彼が居なきゃ、なぁ~んも出来ん嫁さんになっちゃう。
でも、今日、ひとりでちゃんと出来たもん!
欲しいものがなかったから訊くことも出来たし、レジでの会話も問題なかったぞ。
それに、明日になれば、用事があるから、ひとりで신도림までバスと地下鉄を乗り継いで行かなきゃなんないんだからっ!
大丈夫!
私、少しずつ成長してます!
で、帰宅後、ちょびっと吐き気を覚えた。
無性に母の声が聞きたくなった。
って、殆ど毎日電話してるんだけど(笑)
それでも、やっぱ、今は不安定な身体と精神状態だから仕方ない・・・。
電話に出た母に「私の誕生日おめでとう。生んでくれてありがとう!」と言ったらば!
彼女・・・「ん?何が?」と来たもんだ(-"-)
まあ、これまでの付き合いで、どんな性格か熟知してるので驚きはしなかったが。
「あのぉ、多分、今日が私の誕生日だと思うんですけどぉ」って言ったら「あれ?あぁ、そうか!えっ?昨日よ!!!」と言いやがるっ!
「えっとぉ、たとえ昨日としてもですねぇ、昨夜、電話で話したのに『おめでとう』がなかったってことは完璧忘れてたってことしょ?!」と私。
「はっはっは!」だって!
そのあと、「無事に元気にそこまで育ってくれてありがとう」って言ってくれたから許すけどさ。
で、夕方、ここに覚書なんぞを書いた後から気分が悪くなったから横になってた。
18時頃だったかな、彼が帰宅。
彼の手にはケーキがっ!
この気持ちが嬉しい♪
「ごめんね、まだ何もしてない」って言うと「金曜日に出来た居酒屋に行こう!」って!
これまた嬉しい♪
ケーキが見たいっ!って駄々こねたけど、持参するからその時に、っておあずけ。
居酒屋さん、スタッフの皆さんがとても良かった。
店の雰囲気も勿論。
BGMは日本の歌手さんの曲。
省吾もあったりして久々の日本雰囲気を味わうことが出来た。
でも・・・飲酒できないのが・・・ちょっと残念。
不明な時期だからこそ避けていたいし。
我慢、我慢。
そんで、料理が来て。。。ケーキにキャンドル灯して。。。ふぅ~~~~~ってしようと思ったら!
「待って!」と言いながらクラッカーを出すの。
ひゃぁー、恥ずかしいから止めて、って頼んだけど、スタッフさんにお願いしてるじゃん!
スタッフさんたちも喜んでくれて「奥様の誕生日ですか?」って言いながら、私たちの席のライトを消してくれた。
続いて、クラッカーをパンッって鳴らしてくれて、一斉に拍手。
居合わせた客人たちも一緒に拍手くれた。
感動~!
んで、続いて「私たちからのプレゼントです」って日本酒をくださった。
この時のBGMはお洒落なバースデーソング。
もぉー、この心に有難い気持ちでいっぱいになった!
ケーキは、ちょこっとだけ私たちが食べる分を残して、あとの全てはスタッフさんたちにプレゼント。
幸せのおすそわけ^^
楽しく食事して会話して帰宅。
(-"-)
案の定、帰宅後の彼は果ててる。
風呂に入りたい、と言って自分で準備しながら・・・ソファで寝てる。
こういう場合、起こしても起きないことは学習してきた。
二度ほど声を掛けて揺すったけど、やっぱダメ。
掛け布団をそっと掛けといた。
좋은 꿈꾸어^^
잘자~!
【昨日の告白 】
土曜の夜、体調が良くないのに焼酎なんぞを飲むから・・・。
帰宅後、吐いちゃったりして辛そうだった。
日曜日の午後には持ち直したようだったけど、ロッテマートの買い物に付き合ってくれちゃったりしたもんで、まぁ~たぶり返してた。
そんなこんなで、「言おうか言うまいか・・・」と迷ったが、やはし、言っておかねばなるまい。
そこで、「あとで大事な話がある」と言ったら、かなりビビった様子。
帰宅後、ずっと横になってたから、気分が戻ったら夕食にしよう、て声を掛けて遅めの食事。
まあ、私の大事な話っていうのは、いつでもいいんだけど。。。
こう思ってたら「苦労ばかり掛けてごめん」って言うの。
「こっちに来て慌しく過ごしてるし、秋夕が終わっても家の掃除してくれてるし・・・食事も日本にいた時みたいに色々食べれなくて、キムチばかりだし」って。。。
「いやいや・・・そうじゃないんだよ」と心で呟いた。
「実は・・・食事については私がごめん。いま、食べる気分になれなくて。んで、作るのも億劫なの」と言った。
「体調を心配してる・・・病気になるんじゃないか、と」って、なんとカワイイことを。
んで、いよいよ告白。
「なんとなく、お腹にいらっしゃるみたいなの」
ひゃー、こっぱずかしい!
先日、母には相談してたんだな。
やっぱ、一番は母だわ。
んで、もう少し様子を見て、それでも変化なければ、母上に話して一緒に病院に行ってもらおうって。
が、母上が先が彼が先か・・・ってことで悩んでたんだ。
まだ解らないことを言うよりも医師の診断結果を聞いてからの方がいいのでは?とか、うんにゃ、やっぱ、母上よりも先に言っとかんと。。。とか。
で、やっぱ、先に言うことにした。
想像以上、喜んでくれたからビックリ!
私は、喜びと不安、および恐怖が入り混じってる。
正直、喜びっていうのはまだまだ少ない。
それ以前に実感がないから。
しかし、日に日に悪阻ってぇモンがはじまってるような・・・。
昨日あたりから自分で認識できる。
今日も気分は良くない。
吐きそうだし。
食べ物の匂いが強烈。
でも、これもまだ定かじゃない。
精神的に色々考えるから嘔吐感があるのかもしれないし。
今朝も起きて直ぐに「体調は?今日は何もしないで!掃除も洗濯もせず、横になってなさい」だって。
有難いです。
でもね、まだ横になってなきゃいけない症状でもないし、それに誤りかもしれないし、って言って笑ったの。
違ってたらスマンね!
笑って許して^^
【10月16日 ヤマト便 到着 】
午前中、銀行と農協に行った。
そのあと、ガス代の納金。
ガス代の納金が今回から機械化されたらしい。
機械が言ってくれる通りにしたら出来た^^
午後2時、ヤマト便が到着。
余談だが、日本語が完璧なスマートなお兄さんだった。
で、一応、全ての荷物のチェック。
破損物はなかったので安心。
MACとプリンタは接続してないので不安は残るが・・・。
破損箇所がなければ保険の対象ではないらしいので、無事に稼動することを祈るのみ。
MACが場所を取ってしまうので、荷物や掃除などがひと段落してからつないでみる。
彼は帰宅後、私の到着荷物の中からヨガボールを見つけて膨らませ、そして、ひとり楽しんでます。。。
今も、食後の運動に使ってる。
わっ!まくわうりを切ってくれた♪
さんくす^^
今夜も早く眠れそう。。。
【10月15日 寒い】
早朝、肌寒く感じるのは当然なんだけど・・・。
今日はとっても暖かかったらしいが、私は一日中寒かった。
日常の簡単掃除と洗濯を済ませて少し横になってたら、彼が頭のてっぺんからつま先までマッサージしてくれた。
気持ち良かった。
マッサージの資格を持ってて、特に足の裏マッサージが専門みたい。
重宝です。
マッサージのあと、足湯まで用意してくれてた。
至れり尽くせり。
感謝です。
午後から散歩を兼ねて市内へ。
最近、日本チックな店が多くなってきたな、と感じてたら、彼も同じことを言った。
家の近くにも居酒屋さんが出来てたし。
行き帰りで色々な店を偵察。
日本から友達や親戚が来られた時に、美味しいお店に連れて行ってあげたいから、良さそうな店に少しずつ行って、味を見てみよう、と言ってくれた。
その心、さんきゅ♪です。
夕食は、簡単キムチチゲ。
母上や姉上のようには出来上がらないが、それでも「韓国の味!」とか、上手でも「美味しい!」と言って食べてくれると嬉しくなる。
食後、近くの河川敷公園まで散歩。
やっぱ、ちょびっと体調が良くないんかな。
長袖の上に長袖のフリースジャケットで外出。
彼も皆さんも半袖だったり、薄手の長袖だったり。
そんなこんなで、いつもの距離の1/3程度で「今日はここまでにしようよ。。。」と訴え帰宅。
帰宅後、まくわうりの皮を剥いて食べさせてくれた。
果物の皮むきは彼担当。
なんだか、私よりとっても上手なのです。
今、お風呂を入れてくれてる。
「疲れてるんだから、早く風呂に入って暖かくして寝なさい」って。
明日はヤマトの荷物が届くし・・・。
また暫く荷解きの日々が続く。
今夜は本当に久々、今日のうちに眠れそう。
【10月15日 昨日はプチスト】
昨日、早朝、私が覚書 第一部を書いてたら目覚めた様子。
「体調はどう?熱はまだある?起きられそう?」と部屋に入ってきた。
「体調悪いし気分も悪い。でも、パソできる元気だけはある」と答え「今日は私、なぁ~んにもしたくないの。って、いうかぁ、なぁ~んにもしない。スト突入~~~!」って宣言。
この宣言を無視して「배 고파<ペゴパ>(お腹空いた)」と言いやがるっ。
「韓国人はキムチさえあればいいんでしょ?昨日、お母さんが作ってくださったキムチがあるから食べれば?」と言ってやった。
ヤツも暫く粘っていたが断念した様子。
キッチンへと出て行った。
「へ、アタシの勝利!」と後姿を見送りながらガッツポーズ!
が、間なしに食パンを片手に走ってパソ部屋に入ってくるの。
「どしたの?」って聞くと、食パン指しながらヘンな顔してる。
先日、りんごジャムを作った。
「もしや、りんごジャムがいったか?いや、まだ3日くらいのもんだろ。。。傷むには早いぞ」
そんなん考えてたら「매우 매워~~~!<メウ メウォ>(すんごい辛い)」と絶叫。
「あんた、もしや、りんごジャムと마늘<マヌル>(ニンニク)を間違えたんじゃ?」って言うと「・・・そうみたい。りんごジャムが食べたかった」ってさ。
んとに、手間が掛かるんだからっ!
確かに、りんごジャムには日本語表記しかしてなかった。
私も悪い。
しかし、ニンニク・・・匂いでわかるだろ。
mixiはひとまずおいといて、急遽、マーガリン(通常、バターは使わない)とでガーリックトーストを作った。
まあ、上手でも「美味しい♪」と言って食べてくれたから良しとする。
そんなこんなで、仕事に見送ったあと、掃除も洗濯もなぁ~んにもしなかった。
夕方、彼が帰宅。
彼の手にチキン(フライドチキン)とビールがっ!
「ねえねえ、私に食べ物見せると機嫌が直ると思ってるでしょ?」って思わず笑ってしまった。
私のプチストはここまで。
やっぱ、この方の心の広さに感服です。
そうしてたら、母上が来られた。
姉上手作りの반찬<パンチャン>(おかず)を持参。
ことずかったとのこと。
単純な私は昨日までのことがブッ飛ぶ(笑)
姉上に感謝の電話をしたのです。
母上は、これさえ置いたら、またまた私を気遣い直ぐに帰宅。
ありがたいやら申し訳ないやら複雑な心境。
んで、この時、母上が「コチュのことは心配しないでね。お母さんの所に届くように言ったから。届いたら電話するからウチで一緒に作業しよう」と言ってくださった。
「わぁー、安心しました!荷物が月曜日に届くから、どうしようかと考えていたんです」って言うと、「私はあなたの味方だから。あなたが少しでもラクなことが私は嬉しい」って。
もぉ、反省。
でも、母上、ありがと♪
金曜日にヤマトから、「書類も整ったので月曜日に税関切ります。なので、順調なら月曜日中に自宅にお届け出来ます」と電話があった。
んだもんで、ひとり悩んでたわけ。
コチュが先か荷物が先か・・・
いずれにしても、置き場がない、と。
したら、昨日、私が早々にパソ部屋に引きこもったあと、彼が母上に電話してくれたみたいで。。。
「プーインは荷物が集うから悩んでる。姉さんは荷物が来ることを知らないしプーインがどれほど疲れてるかも知らない。こっちでの生活は始まったけど、まだスタートしたわけじゃない。来るなり、冷蔵庫や洗濯機、秋夕もあって、今度は浄水器。バタバタし通し。荷物が届いて家を掃除して。。。それからがスタートだ。姉さんは一方的過ぎる。今回は母さんの家でコチュは出来ないものか?」と言ってくれたらしい。
感謝!
とりあえず、コチュも解決。
母上を見送り、夕食準備。
チキンがあるから簡単にスープやサラダを作って、毎度のベランダ屋台。
彼曰く「疲れてる時に噛み付いてくることは解ってるし、聞き流せばいいことも解ってる。言えばスッキリするし、家族に対して悪く思ってるどころか大事にしてくれてることも解ってる。でも、どういうわけか、キミの話に細かに答えたくなる」と。
私・・・「解ってるなら、『はあはあ、また始まった』と笑って聞き流してね」と。
ひとまず、今回の騒動はおわり。
・・・が、次回、コチュの問題があるからね(笑)
【覚書 第二部 】
以下もコピペ(一部、加筆修正あり)。
第一部同様、長いのでイラっちさんには不向きな内容。
■10/9(月)
こっちにきてはじめてゆっくり家で過ごした。
って、いっても一日、掃除に明け暮れたが。
夜、自宅のベランダで屋台風にして食事した。
こっちの人って、夏場は殆ど食堂やらの外で食事するの。
今でも少し寒いけど外で食事してる人を随分見かける。
そういう雰囲気が好きみたいで、家の電気を全部消して、外の明かりだけで愉しんだ^^
二番姉上から「浄水器を買ってあげる」と電話あり。
なんでも新生活スタートなので下さるらしい。
以前、何が欲しいかと聞かれていたので浄水器かトイレのビデと答えていた。
他にも色々たくさんあるけど、ひとまず間に合うし、急ぎで欲しいものはこれらくらい。
有難いです m(__)m
■10/10(火)
近所で買い物。
部屋の模様替えにあわせて、ネット工事の必要あり。
これまで秋夕で工事会社が休日。
ようやく工事に来てくれた。
こっちは日本みたいに差込じゃないの。
工事して固定するんだよ。
だから、パソを移動させるたびに工事が必要。
面倒だ。
が、無料ならしいから。
ま、いっか!
続いて洗濯機到着。
これまた、洗濯室というのが玄関横にあるんだけど、ドラム式なもんで、洗濯室の扉が邪魔になるわ、洗濯機の扉が邪魔になるわで大変。
でも、まあまあなんとか洗濯室と倉庫とで使えそう。
夕方、先述の大学教授ご夫妻と会うためソウルへ移動。
この方たち、日本人の私の気持ちも考えも心も充分に解ってくださる。
また、韓国生活が長いため、韓国人の彼のことも手に取るように解ってくださる。
ケンカするたび、お世話になってます。
夕食は의정부<議政府=ウイジョンブ>まで帰ってきて、自宅近所の店で보쌈<ポッサム>(白菜の上に茹で豚肉を乗せ、更にキムチやらニンニク、タレなどをのせて食べる)を동동주<ドンドン酒>と一緒に食べた。
まあまあ、味はそこそこ。
以前、용현동<龍峴洞=ヨンヒョンドン>の家にいた時に行った店のほうが美味!
帰宅後、彼は健やかに就寝。
これからが私の楽しみ^^
パソのバッテリーが消耗してるから「どうかなぁ」と思いながら立ち上げた。
なんとか立ち上がった!
取り急ぎ、winの設定を韓国に変更。
んだらば、難なくつながるの!ネットに!
心配してくれてる日本の友達にメールして、outlookにてニフメールを受信!
と、思いきや、途中で電池切れ!
しかし、収穫あり!
使えるんだもんね!
■10/11(水)
毎週水曜日はゴミの日。
生ゴミや一般ゴミは毎日可能。
缶やビン、段ボールや新聞などなどはこの日。
ゴミ出しデビューなので、彼を起こして一緒に行った。
午前中、一番姉上が来られた。
この時、日本の家電製品用の変電機を譲ってもらった。
嬉しい♪
姉上と一緒に母上のところへ。
母上は壊れた電話とミルミキサーの修理のためロッテマートへ行きたかったらしい。
ついでに私たちの浄水器の下見。
最初にホームプラスへ。
続いてロッテマートへ。
まあまあ、浄水器のスタイルが解ったからok!
姉上とはロッテマート前でバイバイ。
私と彼はロッテマートで買い物、母上は先に帰宅。
買い物のあとで母上宅に寄って夕食。
帰宅するや、一番姉上から電話あり。
なんでも、母上の姪婿が浄水器など家電製品を作るだか扱ってるだかの会社勤めならしく、安価で購入できるらしい。
本当にありがたい。
しかし、明日も一旦、姉上宅近所のロッテマートに行くことにした。
帰宅後、買い物をさばいた。
就寝前、winにつないだけど調子悪い。
デフラグしてみた。
■10/12(木)
ソウルの姉上宅近所のロッテマートへ。
浄水器の偵察後、ロッテマート内にある美容院へ行ってカット。
カットはイマイチかな。
ブローしてくれたお姉さんがとっても上手で満足。
翌日、自分で左右のバランスを整えながら再度カット。
これで何とか見ばえよし。
んで、夕方、姉上宅で簡単食事。
帰宅後、この日も彼提案でベランダ屋台。
・・・そして、再度ケンカ勃発。
いつもいつも彼の家族のことでケンカになる。
これまで、一度も二人のことでケンカになったことはない。
この時も、そう。
お互い、些細な言葉を理解出来なかったことが原因。
ケンカというより、いつも私が納得できなくて一方的に言ちゃうことになから、ケンカじゃないんだろうけど。
ケンカということが解り良いから。
単に、私は少しだけゆっくりしたかったの。
こっちに来て、全くもって二人でゆっくり出来る時間がない。
それどころか、私の自由になる時間もない。
開けるところ、使うところ、どこもかしこも汚くて、その都度、嫌になってる。
で、その都度、掃除してる。
ほんと、早く掃除を終わらせて新生活を始めたいわけ。
冷蔵庫や洗濯機、挙句、浄水器と。。。姉上にお世話になってるから、このことは本当に心から感謝してる。
私たちがバタバタと店を行ったり来たりするのと同じくらい、姉上もバタバタしてることも知ってるし理解してる。
でも、これとは話は別。
「有難いっていう気持ちと、毎日外出でツライって気持ちは別」
このように言ってくれるから、充分、解ってくれてるんだけど・・・ね。
なんていうか・・・
姉上宅から帰宅前に「数日うちに고추<コチュ>(唐辛子)がそこに届くから、綺麗に洗って拭いて乾燥させて가루<カル>(粉)にしてね。私は凄く忙しいの。今までひとりでしてきたの。ここに引越して来て、この家は狭いしベランダないし。。。そこが広いしベランダで水も使えるし。お母さんには言っておいたから、聞きながらやって」という話を聞かされた。
私の顔色が変わった。
「おいおい・・・ちょっと待ってくれよ。やらなきゃなんないことはやるさ。しかし、前もって予定を聞くとかしないか?」と思った。
それに、私にとっては始めてのことだ。
もっと言えば、半端な量じゃない。
5家族が一年食べる量。
それは、日本の消費量とはケタ外れ。
疲れていたが、余計にどっと疲れた。
この翌日には、母上と姉上と私の家でキムチ作りがある。
これも、私の予定は無視。
2日に到着した時には既に決まっていた。
母上は、母上の家で作ろうと思ってたみたいだけど、姉上が「ここは狭いしベランダが使えない。フナのアパートが広いしベランダで水が使えるから、あそこでしなきゃダメ」って聞こえてた。
まあ、このキムチは私たちが食べるために作ってくださるのだから仕方ない。
それにしても、だな。
なんで予定を聞いてくれんかなぁ。
日本式で考えると、予定はないにしても、一応は伺うしさ、伺ってもらえば、その日の予定も立てらるじゃん。
こういうところが強引に感じるし、私には自由がないと考えてしまうところ。
ちょっと話が脱線。
要は、私の気持ちや心や意思や予定は無視なの。
これが初めてじゃない。
だいたい、こんな感じ。
このことを言うと「韓国人だから」と彼は言う。
「韓国人は親密で仲のいい人には誰にでもこんな感じ。日本人には強引と感じるかもしれないが、決してそうじゃない。仲がいいと思ってる証拠」と言う。
じゃあ、言わせてもらう「私は日本人だ!予定を聞いてくれ!前もって『これこれしかじかだが、いかがなものか?』と聞いてくれ!」と言った。
んだら、「嫌なら嫌といえばいいし、予定があるならそういえばいい。忙しいとか疲れてるとか言えばいい」ときたもんだ。
こういう言葉を聞くと、ほんとアンタって私を解ってないね、って言いたくなる。
私は人一倍「忙しい」は言いたくない性格だ。
忙しい線引きは難しい。
人それぞれ許容範囲が違うから。
それに、忙しいのは私の勝手。
他人様には関係ないことだとも思う。
だから、私はこっちに来て「忙しい」なんて一度も言ってない。
当然、疲れてもいるさ。
父のことから思えば、彼も充分理解してくれてる。
今回、日本に滞在してた時も、荷物の準備などで寝てない日が続いてることも知ってる。
でも、私は、母上や姉上たちのように口癖のように「忙しい」とか「疲れた」は言わない。
だから、母上や姉上は、私は疲れてない人でヒマ人に見えるらしい。
いいや・・・そうじゃないかなぁ。
特に母上は本当に心から気遣ってくださるから、母上は理解してくださってるのかもしれない。
でも、韓国的習慣で日本人のような配慮までは出来ないのだと思う。
私自身、それを望んでもいけないことだけど。
とにかく、고추<コチュ>が届く日とヤマトの荷物が届く日がほぼ同じ。
どっちがか遅れるにしても、1、2日の差。
こんな中で、どうやって莫大な고추<コチュ>を洗って掃除すんの?!
また、逆に、荷物が届けば早く片したいわね!
どうあれ、この家を母上や姉上が自由に使われれば使われる度に、私の居場所じゃないと思う。
だから、全てのモノに対して使うとき緊張するし、使う前には彼に伺いを立てる。
彼は「夫婦なのに聞く必要ない」って言うけど・・・私の気持ちとして、どうしても、ここが私の家だとは到底思えない。
・・・こういう話もするもんで、話に収集つかなくなった!
日本人さんなら理解してもらえる部分だと思う。
変な話ではなく、私のモノは私のモノ、あなたのモノはあなたのモノ。。。このように立て分けてるはず。
たとえ、家族でも使うときには前もって聞くし。
それが、ここではないから・・・通用しないから居心地が悪い。
そういう文化の国を選んだのは私だから慣れなきゃならんのだろうけど、やっぱ、国の違いというより以前、人としても礼儀や配慮は必要だと考えるんだよね。
私は完璧な人間ではないし未熟者で不足なヤツだ。
しかし、そのようにしたい、なりたい、と心掛けてる。
とにかく、やっぱ、どんなに努力しても、ここは私の家じゃないし居場所じゃない。
あー、気分わるっ。
■10/13(金)
朝から母上と我が家でキムチ作り。
姉上はいらっしゃらなかった。
今回のキムチは、当面、私たち二人が食べるためのもの。
11月には半年たら食べる量をたくさんの人数集まってつくるのが韓国の伝統らしい。
きっと、この時もここを使われるのだろう・・・。
正直、ヤだな。
キムチ作りの時のことは省く。
で、母上が帰られる前に冷蔵庫を開けられて「これならキムチが3段入るね」と言われた。
「え”っ?!この冷蔵庫、4段だよ?」と素早く脳が反応。
確かに、現在、なぁ~んもない冷蔵庫だ。
しかし、私はキムチを保存するために冷蔵庫を買ったんじゃない。
やっぱ、良かったと思った。
冷蔵庫、私の持参金で買っといて。
私は辛いものが好きだ。
もちろん、キムチも好きだ。
日本人としてはたくさん食べる部類だろう。
しかし、この国の方々に比べれば・・・。
それに、この家で大量に食べるのは彼しかいない。
その彼も素食。
一度に食べるキムチの量も少ない。
それよりなにより、さっきの話。
キムチ保存のための冷蔵庫じゃないやいっ!
今は空っぽだけど、少しずつ私に必要な物が増えていくわけ。
キムチに3段も使われたら生活できんわね!
この時は彼も私の気持ちが解ったみたい。
「なくなれば都度キムチを作ればいい。これはキムチ冷蔵庫じゃない。プーイン(奥さん)が買った大事な冷蔵庫だ。今後、食べる量が増えてキムチ冷蔵庫が必要になれば、いずれキムチ冷蔵庫を買えばいいことだ(こっちには長期間保存可能な"キムチ冷蔵庫"なるものが存在。大体の家庭にある)」
こう言ってくれた彼、ちょびっとカッコ良かったけど・・・
母上、黙って下を向かれた。
私、悪いヤツみたいで心苦しかった。
なんかさぁ、疲れた。
ほんと、疲れた。
みなさんからの愛がいっぱいなのは解るの。
でもね、その人たちから私は一度に受けなきゃなんない。
母上や姉上、そして妹どの。。。5人から一度に受ける。
贅沢なことと解っていても、私にも自由が欲しいし干渉してほしくない・・・と、痛切に感じることもある。
朝から頭痛してたけど、頑張ってキムチ作りを見てたよ。
一緒に作ったわけじゃない。
私は見てるだけ・・・。
頭痛いし、哀しくて21時には家事放棄で就寝。
彼に心の中で「미안<ミアン>・・・」とつぶやきながら。
覚書 第二部 了
October 23, 2006 覚書 第一部
10/2に韓国に来てからのこと。
以下の内容は、某ソーシャル・ネット~に記載したヤツ。
ここは韓国語が可能だから、こっちにコピペして(一部、加筆修正あり)、んで、今後、引き続きこっちで書いてみようか、と。
これまでの 韓⇔日 往復結婚生活にようやく終止符。
10/2から正式に韓国での生活が始まったわけで、こっちに来てからのことを書いとこっ!と。
しかし、既に約2週間経過。
長いので、時間が許す方で読んでやってください。
■10/2(月)
17時 我が家到着。
母上が引越しされて直後のため荷物散乱。
私の持参荷物も片せばならず、後日、国際ヤマトで送った引越し荷物も届く。
「あ”ー、誰か手伝ってくれ・・・」と思わなくもなかった。
自分の荷物も解かぬまま母上宅へ。
母上宅にて夕食後、冷蔵庫と洗濯機の調査のためロッテマートとホームプラスへ。
-ひとことメモ-
ロッテマート、ホームプラスは日本で言う大きめなスーパー、ショッピングセンターかな。
ロッテマートはロッテ、ホームプラスは韓国の電子機器家電製品で有名な会社サムソンが運営---
ホームプラスで少々の買い物とマイレージカード(ポイントカード)の作成。
ロッテカードは前回滞在期間に作ってたから良し。
帰宅途中、我が家近所の焼肉屋さん(テジカルビ)で夜食
・・・だって、すんごい歩き回ったし頭使ったし。。。お腹が空いたんだもん。
で、その又帰宅途中、一応、実際の生活開始スタートの記念日(?笑)なのでカラオケへ。
我が家に無事に辿り着いたのは午前3時頃だったかな。
シャワーを浴びて眠りの中へ・・・
■10/3(火)
習慣とはコワイ・・・起床は、やはり5時半(-"-)
私の父のことがあってから、昨年6月からの平均睡眠時間は4時間程度。
大体に睡眠時間は多くない方なんだけど、これがずっとだから、ちょびっとツライ面もある。
でも、どんなに遅く寝ても疲れてても、んで、よっぽど椎間板ヘルニアが痛くならない限りはユメちゃん散歩があったから起床は4時半~5時。
ツライけど、そのクセが抜けない。
ま、そんな寝起きだったけど、午前中はダラダラ過ごして昼前にハイマート(家電製品専門店)へ冷蔵庫と洗濯機の調査。
続いてホームプラスへ。
金額はどこも同じ。
値下げ額もほぼ同じ。
ならば、係りさんが親切なホームプラスで購入しようか、って。
早く購入したいが、この日は「開天節」と言って建国記念日なので銀行が休日。
エンがウォンに変わらない・・・
そんなこんな、明日にはウォンを準備して再度ホームプラスへ出陣だ!
と、思いきや、의정부<議政府=ウイジョンブ>に近いソウルに暮らす一番上のお姉さんから「ここのロッテマートが安くしてくれたよ。型式はあなたたちが探してるのと同じもの」との連絡あり。
79万ウォンの冷蔵庫が大体どこも73万8千ウォン、しかし、姉上の話では更に値引いて68万9千ウォン。
単純に考えて安い!
明日はソウルロッテマートに出陣決定!
-ひとこと言わせて-
なぜ、冷蔵庫と洗濯機が欲しいかというと、母上が持って行かれたので、この時点ではないため。
母上は「置いて行くよ。どうせ独り生活なので必要ないから小さいのを買えばいいんだし」と言われたが、いずれにせよ、どちらかが買わなきゃならん物ならば、やっぱ、私としては新しいのを使いたいよね。
特に冷蔵庫。
日常に使うものや冷凍庫の中に入れるものなどは母上とスタイルが全く違うから、このまま置いて行かれると、嫌な意味ではなく読んでほしいけど、母上や姉上が来られる度に「自分たちの物」と思い続けられるだろうと判断したし、実際、彼女たちが思うように使われることが解っていたから。
それに、わたしにとって不必要なものが多く、逆に必要な物がなかったから。
でも、洗濯機は置いて行ってもらっても良かったんだけど(笑)
例え話で、冷蔵庫の他に洗濯機や炊飯器など必要な物は持って行ってください、って言ってたもんで、洗濯機は持って行かれたみたい。
その他、炊飯器やレンジはあったから助かった。
とはいえ、これらが届くまで原始的な生活が続いたのは事実。---
自宅で夕食後、掃除開始。
母上の引越し後、というのとは別で、ここの前住人がむっちゃ汚く使っていた部屋のため、キッチンは油もぐれ。
どこを触ってもべとべと。
シャワー室も浴槽は湯垢べっとり。
ドアノブやサンは手垢がべっとり。
壁紙もホコリや汚れがしみ込んで黒々してる。
どこもかしこも触りたくない・・・これほどまでに汚い。
韓国は引越す人は掃除しないんだって。
する人もいるし、人によりけりだけど、殆どしないとか。
新しく入る人が掃除したり壁紙変えたりフローリングしたりするんだと。
なんか・・・ビミョー。
特に感じること。
全体がホワイトカラーだから、綺麗にすれば明るく見えるし広く感じるんだけど、すんごい汚いから黒く荒んで見えるし不潔に感じる。
ひとまず、3月に引越して来た時に、母上が最低使われる場所は掃除されたらしい。
フロアやシャワー室など。(韓国人には風呂文化がないからシャワーはしても沐浴はしないため、浴槽までは気にならなかったとのこと)
引越し調査の時、何を調査したんだ?って思ってしまう。
こっちは100%オンドル(床暖房)なので、ボイラーシステムが各戸別で調整出来る部屋が良い!とかの理由で決めたんだって。
それにしても、話を聞けば、下見に来た時も一室がゴミ置き場と化していたとか・・・
ほんと、やめてくれ・・・(-"-) と深いため息。
で、掃除をしつつ、お互いの語彙のキャパの狭さ(彼は日本語、私は韓国語)で些細なケンカ勃発。
そんでもって、いつものように、「韓国人は~」とか「自分の家族は~」とか「日本人は~」と展開。
私は、彼からこの3パターンを聞くのが大嫌い。
前もって彼から、韓国人がどういう国民性なのか聞きたいとは思わない。
それは、私が実際に感じていくことだから。
そして、いい面も悪い面も理解していくんだと思う。
だから、私が韓国で感じることについて話す時は聞き流してくれればいい。
いつもお願いする。
けど、決まって家族の話になると感情的になって守りに入るのね。
本人、「家族を守ってるわけじゃない。誤解したままで家族と雰囲気が悪くなってやりにくくなるといけないからキミのためだ」とか言うの。
もぉー、うざいの!
んで、最終、「日本人は~だから」とか「日本の文化は~だから」になるの。
もぉー、面倒!
私は一度も彼を「韓国人だから」と思ったことはない。
いいや、確かに韓国人。
だけど、そういう意味ではなくて。
言語が違い文化が違う日本人ではない人だとは思ってる。
だからと言って、私と違うことをすれば、その度にその全てに対して日本と比較してれば疲れる。
それに、国際結婚したんだから違ってて当たり前。
このように思ってる。
しかし、彼は全てに対して比較する。
加え、私のすること言うこと考え。。。全てが「日本文化」なの。
んなわけないじゃん。
たとえば、私がイタリア料理を作れば「日本料理」
・・・私がすること全てが日本の凝縮じゃない。
そういう意味で私は彼を「韓国人だから」とは見ていない。
ここが一番大きな溝。
これまた、いつもお願いするの。
「私がすること全てが日本文化じゃないし、日本料理じゃない。このように言いたい時には『キミの文化でキミの料理』と言ってほしい」と。
彼がいうところ、悪い意味ではないことは承知。
自分にとって新しいことで珍しいいことで、そんで、関心が心いっぱいになる。
こういうことは理解してるけど、「なんで差別を設けるかなぁー」と思うと立腹する。
そんなこんなのケンカ継続。
と、言っても、私が一方的に怒ってるだけで、彼は心痛くても終始穏やかにしてる。
ほんと、ケンカし掛ける私がアホだ。
6日は추석<秋夕=チュソク>(旧盆)を迎えるわけで、明日4日から母上とその準備をしなきゃなんない。
当然、長男宅で차례<茶礼=チャレイ>(決められた供え物をしてご先祖さまがたを敬い礼拝をする儀式)をしないけれなならないらしいの。
アタシとして、こんだけ荷物をぶっさばいてるし、冷蔵庫はないしで、今回は母上宅でさせてもらうことがいいのでは?と思った。
また、どれほど荷物が大変なのか、母上は見てないから「先ず冷蔵庫を買わなきゃならないことで、明後日、5日に茶礼の買い物などをして準備すればいいから、明日は家の掃除や片づけをしなさい」と。
準備は前日の5日でいいから掃除していいよ、と言ってもらったのは嬉しいが、明日も冷蔵庫と洗濯機のために外出せねばらず、5日も準備のため遅く帰宅することは解ってるから、「げっ!今日中にしろってことだわな」と思うとゾッとした。
韓国文化に詳しい韓国在住の日本人の大学教授さんに話を聞いてみたんだけど、やっぱ、何があっても長男宅で茶礼はすべきことだそう・・・
彼は掃除を手伝いたいみたいだが、私が説明するのが面倒。
説明して時間を費やすより、自分でやったほうがより効率がいい。
また、会話しながらやると先ほどのようにケンカ勃発。
ストレスを頂点に感じる。
こっちの人は、私がどれほど大変なのか解ってない。。。と思うと泣けてきた。
持参荷物がどんだけあるか知ってない・・・。
今のこの家の中のぶっさばいた状態を知ってない・・・。
母上がいらっしゃった時と全く同じ環境で生活を始めるわけじゃない。
私には、私なりに考えて、使い勝手よくしたいとの思いがある。
そのためには模様替えも必要。
小物の収め方も母上とは違う。
それを、簡単に「片付けなさい」と言ってほしくない。
恨みつらみではなく、純粋な率直な素直な気持ち。
ただ、ひとこと、「片付けなくていいよ」「そのままでいい」
誰かにこのように言ってほしかっただけ。
彼には、「これ以上ケンカしたくないし、私ひとりで思うようにやりたいから先に寝て」と、最初に綺麗にした部屋で先に寝てもらい、ひとりで片付けと掃除をすませた。
なんとか、形になった。
少々、意地の部分があったことは否めない。
時間は午前3時半。
これからシャワーして、綺麗に片した部屋でひとり静かに就寝。
■10/4(水)
起床時間は相変わらず。
姉上のところに行く前に銀行にてエンをウォンに。
レートにびっくり!
昨年2月は多分900円くらいだったんじゃないかなぁ。(記憶が薄いから怪しいが)
それが、今年1月が812円で6月が814円。
そんでそんで!今回780円もつれよ!
計算あって金足らず・・・
冷蔵庫と洗濯機、無事に変えますように。。。祈ったぞ!
持参金なんて、これらが買えるだけの金額のみ。
日本を出国する前日、ワイドショーで、藤圭子(漢字、あってるかな?)が、どこそこの空港で40万円かそれ相当額の外貨を所持してて没収された、って言ってたの。
持ち込み額は各国で違うし、私自身、威張って言えることじゃないけど、貯蓄があるわけじゃないから無関係な話と言えばそうなんだけど、それでも、やっぱり・・・ないなりにも没収されると困るわけで。
前回の残額ウォンも手元にあるし。。。
このように考えると、やっぱ、冷蔵庫と洗濯機が買える最低額を所持するに留まった。
では、なぜ、私が買わねばならないか。
それは、彼がケチだから。
な、ワケはなく(笑)
「冷蔵庫や洗濯機など、母上が持って行かれるもので私たちに必要なものは私が買うから!だから、冷蔵庫だけは持って行ってもらって!」と彼に訴えていたため、私が購入。
なぜなら、この方が気がラクだから。
「アタシのモンだっ!」って威張って使えるもんね♪
さて、いよいよ姉上宅近所のロッテマートにて冷蔵庫get!
68万9千ウォンって言ってたヤツ、これが姉上夫婦が更に値切って66万ウォン!
すごい!こっちの人って逞しい。
全員が、八百屋や肉屋にて大阪弁でまくし立てて値切ってる大阪のおばちゃんに見える。
続いて洗濯機、これもどこもと同じでここも40万千ウォンが39万9千ウォン。
しかし!姉上、値切る値切る!
結局38万ウォンで決着。
レートを考えればプラスマイナスゼロってところ。
それにしても有難い。
赤字にならないだけ良かった!
夕方、帰宅途中、市内のダイソーで買い物。
-ひとこと-
こっちにもあるんだよ、ダイソー^^
日本の製品を見てもらうと解るけど、こっち用に韓国語で表記されてる品物も珍しくない。---
ダイソーの帰り、ゆっくり歩きながら帰宅。
自宅まで徒歩20分程度。
その途中、自宅近所に쪼키쪼키<チョキチョキ>という生ビールのチェーン店があるんだけど、ここに寄って食事。
ここの店長さんや店員さんが中々いいの。
食事と言っても、こっちの量は半端じゃないから、一品注文すれば充分。
ちょっとずつ色々食べたい日本人の私としては苦痛な部分ではある。
치킨<チキン>(フライドチキン)と生ビールで「今日もお疲れさん!」と乾杯。
この日はケンカなし。
しかし、買い物の品をさばいたりなんだり。。。結局、やっぱ、就寝は3時頃。
でも、昨日、掃除しといて良かった。
■10/5(木)
起床5時。
せわしく過ごすことが解ってるから早めに準備。
午前中に母上宅へ移動。
買い物を済ませ秋夕および茶礼の準備を開始。
結婚前、9月にどなただったかの茶礼を経験。
この時の食事は簡単で、儀式も私は見てるだけだった。
そして、結婚してすぐに韓国の설날<ソルナル>(韓国の新年=旧正月)を経験。
この時は解らないなりに手伝ったし、儀式にも参加。
そんなこんなで、茶礼の準備は三度目。
雰囲気は解ってる。
が、供え物の食事の作り方があやふや。
今回はメモ携帯で全てを記したぞ。
・・・とは言っても、次回、茶礼や新年に私独りでやれ!って言われると・・・それはまだ無理。
まあ、そんなこんで夕方、안산<安山=アンサン>に居る妹どのが来られた。
一緒に準備の続きをして夕食を済ませ、一時、帰宅。
冷蔵庫がないから、母上宅で作って我が家に持って帰る・・・の図。
まあ、なんとか無事に準備日終了。
■10/6(金)~7(土)
茶礼は早朝からすることらしいので、やっぱ、早くから起床。
私に出来る準備は全てやって母上と妹どのを迎えた。
母上と彼によって、茶礼の準備が整い、いざ!
茶礼も無事に終わり、その後、続いて供え物の食事をさせていただいた。
なんとか終わったかな?
と、思いきや、母上は私を気遣い、早く帰宅しようとのご様子。
ありがたいが、私はそこまで子供じゃない。
受け入れなきゃならない文化なら受け入れる。
それが国際結婚だと思ってるから。
「遠慮しないでください」と言ったら凄く喜んでくださった。
ソファで横になったりコーヒーを飲んだり。
午後からは、母上が一ヶ月に一度は参られる寺に詣でるために移動。
私と宗教が違うから気にされていたが、私が「宗教は哲学で、心の中に何を置くかが重要。寺詣でと私の宗教は無関係。全てが文化の経験だと思ってる」と言うと、ますます喜ばれた。
なんでも、母上は、この妹どのがとても心配な存在らしく、この娘の相談をされたかったらしい。
母上と妹どのが住職と思し召しき方と対話される間、木陰で寛いだ。
寺の犬がかわゆかった^^
さてさて、母上たちの話も終わり、ひと通りのお参りも済ませ自宅へ。
が!さすがに秋夕。
むかぁ~しの日本と同じで、田舎に帰省する車でごったがえし。
行く時には普通に行けたのに、帰るときは30分の道が2時間だよっ。
母上の所で妹どのと一番上の姉上家族3人と7人で夕食。
じきに、三番目の姉上夫婦到着。
今回、二番目の姉上家族4人は来ないとか。
時間は22時になろうかと言う頃、「飲みに行こう!」との声が・・・。
「あぁ、早く帰って眠りたい」との願いもむなしく、一緒に行くことに。
一番上の姉上夫婦、三番目の姉上夫婦、そして私たち。
翌、午前2時半くらいまで飲んで騒いだかなぁ。
「ようやく帰れる♪」と喜んだが、まだまだ開放してもらえない・・・。
続いてカラオケだよ(-"-)
1時間くらいしてから、一番上の姉上のダンナさまは席を外され、店の外の椅子で仮眠。
「いい加減にしないか?!」と一番上の姉上のダンナさまが呼びに来られたのが午前5時。
「ひえぇ~~~」
呼びに来てもらわなかったら、まだまだ延々続いてたわな。
くわばら、くわばら。
で、「こんな時間にお母さんところに帰れない」と姉上二人は我が家へお泊り。
ダンナさまがたは찜질방<チムチルパン>(日本でいうところのスーパー銭湯みなたいな?)にお泊り。
ってことで、ようやく帰宅。
姉上から「明朝早いからすぐ寝よう!」と言われ、「おいおい・・・明朝もかよ」と思ってしまった。
姉上たちと彼は即効爆睡。
アタシひとり、シャワーして寝ようかと時計を見れば午前6時。
翌日早いから、って一体何時に起きるの?
うとうとしたら6時半に彼の携帯が鳴った。
妹どのから、「今、起きたらお姉さんたちがいないんだけど、そこに居る?」って。
「泊まってるよ」って言ったら安心した、って。
「ところで、今日は何時に墓参りに行くの?早くに出発するからって言われたけど?」って聞くと「まだ解らないから、あとで電話する」とのこと。
まあ、どうせ早くに起きなきゃなんないなら、もう起きるか、って起床。
結局、寝てない。
冷蔵庫がないなりに朝食準備して待つこと5時間・・・。
誰も起きない。
私はひとりで朝食を済ませた。
結局、皆さんが起きたのは11時頃。
なんでぃ、こんな時間なら私も寝てたぞ!
まあ、時間に寛大で雑ってことは充分承知なことだから驚かないけど。
韓国の人って、大量にアルコールを摂取した翌日には辛い汁ものが食べたくなるらしく、姉上たちや彼も例外ではない。
食堂へ移動し、昼食も含め해장국(ヘジャンクッ)を食べた。
ようやくようやく、母上の家に移動して、午後1時に墓参りへと出発。
「翌朝早い」の話が「午後1時」だ(笑)
夕方、全員で삼겹살。
この日もなんとか一日終了。
■10/8(日)
朝のうちに母上の家に移動。
三番目の姉上夫婦と妹どのが戻られるので見送るため。
昼食を一番上の姉上の自宅自宅近くの食堂で순두부<スンドゥブ>(唐辛子スープに豆腐が入ってるモノ)を食べる。
夕方帰宅、と、同時に冷蔵庫配達の知らせあり。
17時、待ちにまった冷蔵庫設置完了!
早速、買い物に出かけた♪
覚書 第一部 了
以下の内容は、某ソーシャル・ネット~に記載したヤツ。
ここは韓国語が可能だから、こっちにコピペして(一部、加筆修正あり)、んで、今後、引き続きこっちで書いてみようか、と。
これまでの 韓⇔日 往復結婚生活にようやく終止符。
10/2から正式に韓国での生活が始まったわけで、こっちに来てからのことを書いとこっ!と。
しかし、既に約2週間経過。
長いので、時間が許す方で読んでやってください。
■10/2(月)
17時 我が家到着。
母上が引越しされて直後のため荷物散乱。
私の持参荷物も片せばならず、後日、国際ヤマトで送った引越し荷物も届く。
「あ”ー、誰か手伝ってくれ・・・」と思わなくもなかった。
自分の荷物も解かぬまま母上宅へ。
母上宅にて夕食後、冷蔵庫と洗濯機の調査のためロッテマートとホームプラスへ。
-ひとことメモ-
ロッテマート、ホームプラスは日本で言う大きめなスーパー、ショッピングセンターかな。
ロッテマートはロッテ、ホームプラスは韓国の電子機器家電製品で有名な会社サムソンが運営---
ホームプラスで少々の買い物とマイレージカード(ポイントカード)の作成。
ロッテカードは前回滞在期間に作ってたから良し。
帰宅途中、我が家近所の焼肉屋さん(テジカルビ)で夜食
・・・だって、すんごい歩き回ったし頭使ったし。。。お腹が空いたんだもん。
で、その又帰宅途中、一応、実際の生活開始スタートの記念日(?笑)なのでカラオケへ。
我が家に無事に辿り着いたのは午前3時頃だったかな。
シャワーを浴びて眠りの中へ・・・
■10/3(火)
習慣とはコワイ・・・起床は、やはり5時半(-"-)
私の父のことがあってから、昨年6月からの平均睡眠時間は4時間程度。
大体に睡眠時間は多くない方なんだけど、これがずっとだから、ちょびっとツライ面もある。
でも、どんなに遅く寝ても疲れてても、んで、よっぽど椎間板ヘルニアが痛くならない限りはユメちゃん散歩があったから起床は4時半~5時。
ツライけど、そのクセが抜けない。
ま、そんな寝起きだったけど、午前中はダラダラ過ごして昼前にハイマート(家電製品専門店)へ冷蔵庫と洗濯機の調査。
続いてホームプラスへ。
金額はどこも同じ。
値下げ額もほぼ同じ。
ならば、係りさんが親切なホームプラスで購入しようか、って。
早く購入したいが、この日は「開天節」と言って建国記念日なので銀行が休日。
エンがウォンに変わらない・・・
そんなこんな、明日にはウォンを準備して再度ホームプラスへ出陣だ!
と、思いきや、의정부<議政府=ウイジョンブ>に近いソウルに暮らす一番上のお姉さんから「ここのロッテマートが安くしてくれたよ。型式はあなたたちが探してるのと同じもの」との連絡あり。
79万ウォンの冷蔵庫が大体どこも73万8千ウォン、しかし、姉上の話では更に値引いて68万9千ウォン。
単純に考えて安い!
明日はソウルロッテマートに出陣決定!
-ひとこと言わせて-
なぜ、冷蔵庫と洗濯機が欲しいかというと、母上が持って行かれたので、この時点ではないため。
母上は「置いて行くよ。どうせ独り生活なので必要ないから小さいのを買えばいいんだし」と言われたが、いずれにせよ、どちらかが買わなきゃならん物ならば、やっぱ、私としては新しいのを使いたいよね。
特に冷蔵庫。
日常に使うものや冷凍庫の中に入れるものなどは母上とスタイルが全く違うから、このまま置いて行かれると、嫌な意味ではなく読んでほしいけど、母上や姉上が来られる度に「自分たちの物」と思い続けられるだろうと判断したし、実際、彼女たちが思うように使われることが解っていたから。
それに、わたしにとって不必要なものが多く、逆に必要な物がなかったから。
でも、洗濯機は置いて行ってもらっても良かったんだけど(笑)
例え話で、冷蔵庫の他に洗濯機や炊飯器など必要な物は持って行ってください、って言ってたもんで、洗濯機は持って行かれたみたい。
その他、炊飯器やレンジはあったから助かった。
とはいえ、これらが届くまで原始的な生活が続いたのは事実。---
自宅で夕食後、掃除開始。
母上の引越し後、というのとは別で、ここの前住人がむっちゃ汚く使っていた部屋のため、キッチンは油もぐれ。
どこを触ってもべとべと。
シャワー室も浴槽は湯垢べっとり。
ドアノブやサンは手垢がべっとり。
壁紙もホコリや汚れがしみ込んで黒々してる。
どこもかしこも触りたくない・・・これほどまでに汚い。
韓国は引越す人は掃除しないんだって。
する人もいるし、人によりけりだけど、殆どしないとか。
新しく入る人が掃除したり壁紙変えたりフローリングしたりするんだと。
なんか・・・ビミョー。
特に感じること。
全体がホワイトカラーだから、綺麗にすれば明るく見えるし広く感じるんだけど、すんごい汚いから黒く荒んで見えるし不潔に感じる。
ひとまず、3月に引越して来た時に、母上が最低使われる場所は掃除されたらしい。
フロアやシャワー室など。(韓国人には風呂文化がないからシャワーはしても沐浴はしないため、浴槽までは気にならなかったとのこと)
引越し調査の時、何を調査したんだ?って思ってしまう。
こっちは100%オンドル(床暖房)なので、ボイラーシステムが各戸別で調整出来る部屋が良い!とかの理由で決めたんだって。
それにしても、話を聞けば、下見に来た時も一室がゴミ置き場と化していたとか・・・
ほんと、やめてくれ・・・(-"-) と深いため息。
で、掃除をしつつ、お互いの語彙のキャパの狭さ(彼は日本語、私は韓国語)で些細なケンカ勃発。
そんでもって、いつものように、「韓国人は~」とか「自分の家族は~」とか「日本人は~」と展開。
私は、彼からこの3パターンを聞くのが大嫌い。
前もって彼から、韓国人がどういう国民性なのか聞きたいとは思わない。
それは、私が実際に感じていくことだから。
そして、いい面も悪い面も理解していくんだと思う。
だから、私が韓国で感じることについて話す時は聞き流してくれればいい。
いつもお願いする。
けど、決まって家族の話になると感情的になって守りに入るのね。
本人、「家族を守ってるわけじゃない。誤解したままで家族と雰囲気が悪くなってやりにくくなるといけないからキミのためだ」とか言うの。
もぉー、うざいの!
んで、最終、「日本人は~だから」とか「日本の文化は~だから」になるの。
もぉー、面倒!
私は一度も彼を「韓国人だから」と思ったことはない。
いいや、確かに韓国人。
だけど、そういう意味ではなくて。
言語が違い文化が違う日本人ではない人だとは思ってる。
だからと言って、私と違うことをすれば、その度にその全てに対して日本と比較してれば疲れる。
それに、国際結婚したんだから違ってて当たり前。
このように思ってる。
しかし、彼は全てに対して比較する。
加え、私のすること言うこと考え。。。全てが「日本文化」なの。
んなわけないじゃん。
たとえば、私がイタリア料理を作れば「日本料理」
・・・私がすること全てが日本の凝縮じゃない。
そういう意味で私は彼を「韓国人だから」とは見ていない。
ここが一番大きな溝。
これまた、いつもお願いするの。
「私がすること全てが日本文化じゃないし、日本料理じゃない。このように言いたい時には『キミの文化でキミの料理』と言ってほしい」と。
彼がいうところ、悪い意味ではないことは承知。
自分にとって新しいことで珍しいいことで、そんで、関心が心いっぱいになる。
こういうことは理解してるけど、「なんで差別を設けるかなぁー」と思うと立腹する。
そんなこんなのケンカ継続。
と、言っても、私が一方的に怒ってるだけで、彼は心痛くても終始穏やかにしてる。
ほんと、ケンカし掛ける私がアホだ。
6日は추석<秋夕=チュソク>(旧盆)を迎えるわけで、明日4日から母上とその準備をしなきゃなんない。
当然、長男宅で차례<茶礼=チャレイ>(決められた供え物をしてご先祖さまがたを敬い礼拝をする儀式)をしないけれなならないらしいの。
アタシとして、こんだけ荷物をぶっさばいてるし、冷蔵庫はないしで、今回は母上宅でさせてもらうことがいいのでは?と思った。
また、どれほど荷物が大変なのか、母上は見てないから「先ず冷蔵庫を買わなきゃならないことで、明後日、5日に茶礼の買い物などをして準備すればいいから、明日は家の掃除や片づけをしなさい」と。
準備は前日の5日でいいから掃除していいよ、と言ってもらったのは嬉しいが、明日も冷蔵庫と洗濯機のために外出せねばらず、5日も準備のため遅く帰宅することは解ってるから、「げっ!今日中にしろってことだわな」と思うとゾッとした。
韓国文化に詳しい韓国在住の日本人の大学教授さんに話を聞いてみたんだけど、やっぱ、何があっても長男宅で茶礼はすべきことだそう・・・
彼は掃除を手伝いたいみたいだが、私が説明するのが面倒。
説明して時間を費やすより、自分でやったほうがより効率がいい。
また、会話しながらやると先ほどのようにケンカ勃発。
ストレスを頂点に感じる。
こっちの人は、私がどれほど大変なのか解ってない。。。と思うと泣けてきた。
持参荷物がどんだけあるか知ってない・・・。
今のこの家の中のぶっさばいた状態を知ってない・・・。
母上がいらっしゃった時と全く同じ環境で生活を始めるわけじゃない。
私には、私なりに考えて、使い勝手よくしたいとの思いがある。
そのためには模様替えも必要。
小物の収め方も母上とは違う。
それを、簡単に「片付けなさい」と言ってほしくない。
恨みつらみではなく、純粋な率直な素直な気持ち。
ただ、ひとこと、「片付けなくていいよ」「そのままでいい」
誰かにこのように言ってほしかっただけ。
彼には、「これ以上ケンカしたくないし、私ひとりで思うようにやりたいから先に寝て」と、最初に綺麗にした部屋で先に寝てもらい、ひとりで片付けと掃除をすませた。
なんとか、形になった。
少々、意地の部分があったことは否めない。
時間は午前3時半。
これからシャワーして、綺麗に片した部屋でひとり静かに就寝。
■10/4(水)
起床時間は相変わらず。
姉上のところに行く前に銀行にてエンをウォンに。
レートにびっくり!
昨年2月は多分900円くらいだったんじゃないかなぁ。(記憶が薄いから怪しいが)
それが、今年1月が812円で6月が814円。
そんでそんで!今回780円もつれよ!
計算あって金足らず・・・
冷蔵庫と洗濯機、無事に変えますように。。。祈ったぞ!
持参金なんて、これらが買えるだけの金額のみ。
日本を出国する前日、ワイドショーで、藤圭子(漢字、あってるかな?)が、どこそこの空港で40万円かそれ相当額の外貨を所持してて没収された、って言ってたの。
持ち込み額は各国で違うし、私自身、威張って言えることじゃないけど、貯蓄があるわけじゃないから無関係な話と言えばそうなんだけど、それでも、やっぱり・・・ないなりにも没収されると困るわけで。
前回の残額ウォンも手元にあるし。。。
このように考えると、やっぱ、冷蔵庫と洗濯機が買える最低額を所持するに留まった。
では、なぜ、私が買わねばならないか。
それは、彼がケチだから。
な、ワケはなく(笑)
「冷蔵庫や洗濯機など、母上が持って行かれるもので私たちに必要なものは私が買うから!だから、冷蔵庫だけは持って行ってもらって!」と彼に訴えていたため、私が購入。
なぜなら、この方が気がラクだから。
「アタシのモンだっ!」って威張って使えるもんね♪
さて、いよいよ姉上宅近所のロッテマートにて冷蔵庫get!
68万9千ウォンって言ってたヤツ、これが姉上夫婦が更に値切って66万ウォン!
すごい!こっちの人って逞しい。
全員が、八百屋や肉屋にて大阪弁でまくし立てて値切ってる大阪のおばちゃんに見える。
続いて洗濯機、これもどこもと同じでここも40万千ウォンが39万9千ウォン。
しかし!姉上、値切る値切る!
結局38万ウォンで決着。
レートを考えればプラスマイナスゼロってところ。
それにしても有難い。
赤字にならないだけ良かった!
夕方、帰宅途中、市内のダイソーで買い物。
-ひとこと-
こっちにもあるんだよ、ダイソー^^
日本の製品を見てもらうと解るけど、こっち用に韓国語で表記されてる品物も珍しくない。---
ダイソーの帰り、ゆっくり歩きながら帰宅。
自宅まで徒歩20分程度。
その途中、自宅近所に쪼키쪼키<チョキチョキ>という生ビールのチェーン店があるんだけど、ここに寄って食事。
ここの店長さんや店員さんが中々いいの。
食事と言っても、こっちの量は半端じゃないから、一品注文すれば充分。
ちょっとずつ色々食べたい日本人の私としては苦痛な部分ではある。
치킨<チキン>(フライドチキン)と生ビールで「今日もお疲れさん!」と乾杯。
この日はケンカなし。
しかし、買い物の品をさばいたりなんだり。。。結局、やっぱ、就寝は3時頃。
でも、昨日、掃除しといて良かった。
■10/5(木)
起床5時。
せわしく過ごすことが解ってるから早めに準備。
午前中に母上宅へ移動。
買い物を済ませ秋夕および茶礼の準備を開始。
結婚前、9月にどなただったかの茶礼を経験。
この時の食事は簡単で、儀式も私は見てるだけだった。
そして、結婚してすぐに韓国の설날<ソルナル>(韓国の新年=旧正月)を経験。
この時は解らないなりに手伝ったし、儀式にも参加。
そんなこんなで、茶礼の準備は三度目。
雰囲気は解ってる。
が、供え物の食事の作り方があやふや。
今回はメモ携帯で全てを記したぞ。
・・・とは言っても、次回、茶礼や新年に私独りでやれ!って言われると・・・それはまだ無理。
まあ、そんなこんで夕方、안산<安山=アンサン>に居る妹どのが来られた。
一緒に準備の続きをして夕食を済ませ、一時、帰宅。
冷蔵庫がないから、母上宅で作って我が家に持って帰る・・・の図。
まあ、なんとか無事に準備日終了。
■10/6(金)~7(土)
茶礼は早朝からすることらしいので、やっぱ、早くから起床。
私に出来る準備は全てやって母上と妹どのを迎えた。
母上と彼によって、茶礼の準備が整い、いざ!
茶礼も無事に終わり、その後、続いて供え物の食事をさせていただいた。
なんとか終わったかな?
と、思いきや、母上は私を気遣い、早く帰宅しようとのご様子。
ありがたいが、私はそこまで子供じゃない。
受け入れなきゃならない文化なら受け入れる。
それが国際結婚だと思ってるから。
「遠慮しないでください」と言ったら凄く喜んでくださった。
ソファで横になったりコーヒーを飲んだり。
午後からは、母上が一ヶ月に一度は参られる寺に詣でるために移動。
私と宗教が違うから気にされていたが、私が「宗教は哲学で、心の中に何を置くかが重要。寺詣でと私の宗教は無関係。全てが文化の経験だと思ってる」と言うと、ますます喜ばれた。
なんでも、母上は、この妹どのがとても心配な存在らしく、この娘の相談をされたかったらしい。
母上と妹どのが住職と思し召しき方と対話される間、木陰で寛いだ。
寺の犬がかわゆかった^^
さてさて、母上たちの話も終わり、ひと通りのお参りも済ませ自宅へ。
が!さすがに秋夕。
むかぁ~しの日本と同じで、田舎に帰省する車でごったがえし。
行く時には普通に行けたのに、帰るときは30分の道が2時間だよっ。
母上の所で妹どのと一番上の姉上家族3人と7人で夕食。
じきに、三番目の姉上夫婦到着。
今回、二番目の姉上家族4人は来ないとか。
時間は22時になろうかと言う頃、「飲みに行こう!」との声が・・・。
「あぁ、早く帰って眠りたい」との願いもむなしく、一緒に行くことに。
一番上の姉上夫婦、三番目の姉上夫婦、そして私たち。
翌、午前2時半くらいまで飲んで騒いだかなぁ。
「ようやく帰れる♪」と喜んだが、まだまだ開放してもらえない・・・。
続いてカラオケだよ(-"-)
1時間くらいしてから、一番上の姉上のダンナさまは席を外され、店の外の椅子で仮眠。
「いい加減にしないか?!」と一番上の姉上のダンナさまが呼びに来られたのが午前5時。
「ひえぇ~~~」
呼びに来てもらわなかったら、まだまだ延々続いてたわな。
くわばら、くわばら。
で、「こんな時間にお母さんところに帰れない」と姉上二人は我が家へお泊り。
ダンナさまがたは찜질방<チムチルパン>(日本でいうところのスーパー銭湯みなたいな?)にお泊り。
ってことで、ようやく帰宅。
姉上から「明朝早いからすぐ寝よう!」と言われ、「おいおい・・・明朝もかよ」と思ってしまった。
姉上たちと彼は即効爆睡。
アタシひとり、シャワーして寝ようかと時計を見れば午前6時。
翌日早いから、って一体何時に起きるの?
うとうとしたら6時半に彼の携帯が鳴った。
妹どのから、「今、起きたらお姉さんたちがいないんだけど、そこに居る?」って。
「泊まってるよ」って言ったら安心した、って。
「ところで、今日は何時に墓参りに行くの?早くに出発するからって言われたけど?」って聞くと「まだ解らないから、あとで電話する」とのこと。
まあ、どうせ早くに起きなきゃなんないなら、もう起きるか、って起床。
結局、寝てない。
冷蔵庫がないなりに朝食準備して待つこと5時間・・・。
誰も起きない。
私はひとりで朝食を済ませた。
結局、皆さんが起きたのは11時頃。
なんでぃ、こんな時間なら私も寝てたぞ!
まあ、時間に寛大で雑ってことは充分承知なことだから驚かないけど。
韓国の人って、大量にアルコールを摂取した翌日には辛い汁ものが食べたくなるらしく、姉上たちや彼も例外ではない。
食堂へ移動し、昼食も含め해장국(ヘジャンクッ)を食べた。
ようやくようやく、母上の家に移動して、午後1時に墓参りへと出発。
「翌朝早い」の話が「午後1時」だ(笑)
夕方、全員で삼겹살。
この日もなんとか一日終了。
■10/8(日)
朝のうちに母上の家に移動。
三番目の姉上夫婦と妹どのが戻られるので見送るため。
昼食を一番上の姉上の自宅自宅近くの食堂で순두부<スンドゥブ>(唐辛子スープに豆腐が入ってるモノ)を食べる。
夕方帰宅、と、同時に冷蔵庫配達の知らせあり。
17時、待ちにまった冷蔵庫設置完了!
早速、買い物に出かけた♪
覚書 第一部 了
October 23, 2006 覚書 序章
【2004年2月】
偶然、知り合った10歳年下のLEE氏は韓国人。
ソウルの有名な出版社に勤める日本語ペラペラの人だった。
幼い頃から日本のアニメや漫画に興味を持ち、日本の文化に関心を持っていたとかで、独学で日本語を学んだそう。
今では、その実力を認められ、担当は日本の出版物。
私の敬愛する三島由紀夫や川端康成の名前は当然のように知っていたし、また、最近流行の作家の著書も幅広く読んでいた。
驚くことに(って、そうでもないか・・・)私たち日本人でも滅多に使わないような難しい言葉でもって会話を持ちかけてくることも度々で、私は生粋の日本人でありながら、日本語の語彙に乏しいということを痛切に感じる場面だった。
私は韓国やアジア諸国に対して無知だった。
いや、今でも無知だ。
もしかしたら、これまで、無意識の下に蔑視の念さえあったかもしれない。
今でも、この「無意識の下の蔑視」が全くないとは言い切れないが、現在、縁あって韓国で生活をしていることをあわせ考えてみれば、意識改革があったのではないか、と思う。
意識改革について話せば、私の人生の師匠は「韓国・中国は日本にとって大恩ある国」と言っている。
言葉では理解できるし、自身、この両国がなければ、今の日本の文化もなかったと思っている。
しかし、いつもどこか他人事に感じていたことも否めない。
そんな中、大学の講義の途中、「余談だが・・・」と教授が話し始めた。
内容は「アジアに対する日本企業の乱雑さ」だった。
(注・この内容は当時のもので、現在のことではないことを記す)
「発展途上国に対し、日本企業は日本では禁止されていることをしている」と言う話をしてくれた。
水銀などが混入した汚水は垂れ流しで、その水を利用して農作物が生長する、というのだ。
このことに関しての本も紹介してくれた。(後に購読)
この話を聞き、また、本を読んで胸を衝かれる思いだった。
「日本は何をしてきたのか?」「日本は今、何をしているのか?」
そして、先述の師匠の言葉が脳裏に浮かんでくることになる。
この時、私は師匠の言葉と心に誓った。
「アジアに対して私にも何か出来ることがあるはずだ」
「時間は掛かるが必ず見つけて行動したい」
そして、時を経て、LEE氏との出会を迎える。
私は、韓国という国は日本に対し、友好感情が薄いのではないかと考えていた(これこそが偏見なのだが)ので、LEE氏の「日本の文化に関心があり、独学で日本語を学んだ」との言葉に衝撃を覚えた。
そこで、率直に私の疑問をぶつけた。
すると、「殆どの人は、過去のことは『歴史』だと認識しているし、日本に対しても日本人に対しても悪い印象は持っていない。自分のように日本文化を学びたいと思う人の方が多いはず」とのこと。
ならば!と、私もLEE氏の言葉に韓国と言う国に対し、急速に関心を持ち始めたのだった。
幼い頃から、絵文字のようなハングルに興味があったこともあり、LEE氏も独学で日本語がペラペラになれたのだから、私も頑張れば。。。
この決意から韓国語の勉強を私もLEE氏に習って独学で始めたのである。
なんでも、この頃は韓国ドラマが流行っていて、韓国語を勉強する人も増加傾向だったようだ。
しかし、芸能関係や世間に疎い私は、このような流行を全く知らなかった。
後に、私が韓国語を独学しているということを耳にした友人等から、「流行の先端だねぇ~!」との言葉と共に世間を聞くことになる。
当然、私は「今の流行とは無関係。ヨンさまやジウ姫ってぇ人たちが、どっち向いてても興味ないよ」と答える。
とはいえ、語学向上のために韓国映画を観るということは行っていた。
残念なことに、3月になった頃、このように私と韓国の縁を紡いでくれたLEE氏だったが、連絡が取れなくなった。
しかし、せっかく始めた語学の勉強、最後までやろうじゃないか、と。
そこで、メールフレンドでも出来れば上達するのでは?とメールフレンドを作ることにした。
そこで出会ったのがls氏。
これまた、とても人間の良い人で、この方も独学で日本語を勉強している。
日本語の勉強を始めて3年目で私と出会った。
・・いつしか、私は「私の次の生活の舞台は『韓国』」と考えるようになっていた。
そして、語学留学をしたい、とまで考えるようになった。
そんな折、ls氏が「いつか韓国に来て下さい」と言ってくれたことに腹が決まり、観光を兼ねて大学の下見をしようと訪韓を計画。
これまで、親孝行なんて出来ていないこともあったし、この先、ずっと両親と一緒に居られるわけでもないのだから・・・このように考え、親孝行の真似事でも出来れば、との思いもあって、ls氏を頼りに昨年2005年2月に両親と始めての韓国旅行に出かけたのである。
【2005年2月3日】
この日は母の誕生日。
そして、私が独学で韓国語を学び始めて丸一年。
こんな意味ある日に韓国旅行が出来るなんて~!
初めて会ったls氏は紳士で、私の両親をとても大事にしてくれた。
ls氏とは、今でも家族付き合いをさせていただいている。
そして、これからが本題。
この旅行の際、これまた、偶然知り合ったkim氏との交際がスタートすることになり、また、私の「私の次の生活の舞台は『韓国』」との決意も語学留学ではなく本生活に変化したのである。
結婚までの期間、韓国と日本の遠距離交際となり、また、お互いの言葉の語彙の狭さ(彼は日本語、私は韓国語)から誤解もたくさんあったし、してきた。
しかし、その都度、彼の寛大さに救われながら、なんとかここまでやって来ることが出来た。
5月、9月、私が訪韓。
年末、彼が来日。
そして、今年、1月1日 日本にて日本式の結婚式を執り行い、無事に夫婦となった。
双方の家族のことまで記すと莫大になってしまうので省略。
ただ、彼の家族は私をとても愛してくれている。
韓国での生活が長いご婦人曰く「あなたの시어머니のような人はいないわよ。ほんと、感謝しなきゃね!」と。
私も本当にそう思う。
私の母も親戚も、友人・知人、実家の町内会の人に至るまで、彼のことが好き。
これまた、ほんと、有難いこと。
このように、私たちは皆様に愛されて、新しい人生をスタートさせることが出来た。
2006年
1/1 日本で結婚式
1/18 韓国で入籍
1/30 韓国で幤帛
2/2 日本で入籍
3/26 日本で極簡単に披露宴もどきの食事会
5/29 韓国でビザ手続き
6/28 ビザ到着
/29 再入国許可証の受給
結婚という儀式に伴い、私たちは、このように行事をこなしてきた。
が、この間、私たちの生活スタイル、「私は日本・彼は韓国」というものに変化はなかった。
なぜなら、2005年6月に思いがけないことが起こったからだ。
このことがひと段落するまで、私たちは、韓-日を行ったり来たりしながら、通い婚を続けることになった。
(この「思いがけないこと」とは、決して、双方の家族に問題があったということではない)
そして、9月も半ば、ようやくひと段落。
いよいよ今月2日、私は韓国にやってきた。
本当の意味での結婚生活のスタートだ。
・・・辛くなったら師匠との誓いを思い出しながら頑張るっ!
だって、私の生活の舞台は韓国なんだから!
偶然、知り合った10歳年下のLEE氏は韓国人。
ソウルの有名な出版社に勤める日本語ペラペラの人だった。
幼い頃から日本のアニメや漫画に興味を持ち、日本の文化に関心を持っていたとかで、独学で日本語を学んだそう。
今では、その実力を認められ、担当は日本の出版物。
私の敬愛する三島由紀夫や川端康成の名前は当然のように知っていたし、また、最近流行の作家の著書も幅広く読んでいた。
驚くことに(って、そうでもないか・・・)私たち日本人でも滅多に使わないような難しい言葉でもって会話を持ちかけてくることも度々で、私は生粋の日本人でありながら、日本語の語彙に乏しいということを痛切に感じる場面だった。
私は韓国やアジア諸国に対して無知だった。
いや、今でも無知だ。
もしかしたら、これまで、無意識の下に蔑視の念さえあったかもしれない。
今でも、この「無意識の下の蔑視」が全くないとは言い切れないが、現在、縁あって韓国で生活をしていることをあわせ考えてみれば、意識改革があったのではないか、と思う。
意識改革について話せば、私の人生の師匠は「韓国・中国は日本にとって大恩ある国」と言っている。
言葉では理解できるし、自身、この両国がなければ、今の日本の文化もなかったと思っている。
しかし、いつもどこか他人事に感じていたことも否めない。
そんな中、大学の講義の途中、「余談だが・・・」と教授が話し始めた。
内容は「アジアに対する日本企業の乱雑さ」だった。
(注・この内容は当時のもので、現在のことではないことを記す)
「発展途上国に対し、日本企業は日本では禁止されていることをしている」と言う話をしてくれた。
水銀などが混入した汚水は垂れ流しで、その水を利用して農作物が生長する、というのだ。
このことに関しての本も紹介してくれた。(後に購読)
この話を聞き、また、本を読んで胸を衝かれる思いだった。
「日本は何をしてきたのか?」「日本は今、何をしているのか?」
そして、先述の師匠の言葉が脳裏に浮かんでくることになる。
この時、私は師匠の言葉と心に誓った。
「アジアに対して私にも何か出来ることがあるはずだ」
「時間は掛かるが必ず見つけて行動したい」
そして、時を経て、LEE氏との出会を迎える。
私は、韓国という国は日本に対し、友好感情が薄いのではないかと考えていた(これこそが偏見なのだが)ので、LEE氏の「日本の文化に関心があり、独学で日本語を学んだ」との言葉に衝撃を覚えた。
そこで、率直に私の疑問をぶつけた。
すると、「殆どの人は、過去のことは『歴史』だと認識しているし、日本に対しても日本人に対しても悪い印象は持っていない。自分のように日本文化を学びたいと思う人の方が多いはず」とのこと。
ならば!と、私もLEE氏の言葉に韓国と言う国に対し、急速に関心を持ち始めたのだった。
幼い頃から、絵文字のようなハングルに興味があったこともあり、LEE氏も独学で日本語がペラペラになれたのだから、私も頑張れば。。。
この決意から韓国語の勉強を私もLEE氏に習って独学で始めたのである。
なんでも、この頃は韓国ドラマが流行っていて、韓国語を勉強する人も増加傾向だったようだ。
しかし、芸能関係や世間に疎い私は、このような流行を全く知らなかった。
後に、私が韓国語を独学しているということを耳にした友人等から、「流行の先端だねぇ~!」との言葉と共に世間を聞くことになる。
当然、私は「今の流行とは無関係。ヨンさまやジウ姫ってぇ人たちが、どっち向いてても興味ないよ」と答える。
とはいえ、語学向上のために韓国映画を観るということは行っていた。
残念なことに、3月になった頃、このように私と韓国の縁を紡いでくれたLEE氏だったが、連絡が取れなくなった。
しかし、せっかく始めた語学の勉強、最後までやろうじゃないか、と。
そこで、メールフレンドでも出来れば上達するのでは?とメールフレンドを作ることにした。
そこで出会ったのがls氏。
これまた、とても人間の良い人で、この方も独学で日本語を勉強している。
日本語の勉強を始めて3年目で私と出会った。
・・いつしか、私は「私の次の生活の舞台は『韓国』」と考えるようになっていた。
そして、語学留学をしたい、とまで考えるようになった。
そんな折、ls氏が「いつか韓国に来て下さい」と言ってくれたことに腹が決まり、観光を兼ねて大学の下見をしようと訪韓を計画。
これまで、親孝行なんて出来ていないこともあったし、この先、ずっと両親と一緒に居られるわけでもないのだから・・・このように考え、親孝行の真似事でも出来れば、との思いもあって、ls氏を頼りに昨年2005年2月に両親と始めての韓国旅行に出かけたのである。
【2005年2月3日】
この日は母の誕生日。
そして、私が独学で韓国語を学び始めて丸一年。
こんな意味ある日に韓国旅行が出来るなんて~!
初めて会ったls氏は紳士で、私の両親をとても大事にしてくれた。
ls氏とは、今でも家族付き合いをさせていただいている。
そして、これからが本題。
この旅行の際、これまた、偶然知り合ったkim氏との交際がスタートすることになり、また、私の「私の次の生活の舞台は『韓国』」との決意も語学留学ではなく本生活に変化したのである。
結婚までの期間、韓国と日本の遠距離交際となり、また、お互いの言葉の語彙の狭さ(彼は日本語、私は韓国語)から誤解もたくさんあったし、してきた。
しかし、その都度、彼の寛大さに救われながら、なんとかここまでやって来ることが出来た。
5月、9月、私が訪韓。
年末、彼が来日。
そして、今年、1月1日 日本にて日本式の結婚式を執り行い、無事に夫婦となった。
双方の家族のことまで記すと莫大になってしまうので省略。
ただ、彼の家族は私をとても愛してくれている。
韓国での生活が長いご婦人曰く「あなたの시어머니のような人はいないわよ。ほんと、感謝しなきゃね!」と。
私も本当にそう思う。
私の母も親戚も、友人・知人、実家の町内会の人に至るまで、彼のことが好き。
これまた、ほんと、有難いこと。
このように、私たちは皆様に愛されて、新しい人生をスタートさせることが出来た。
2006年
1/1 日本で結婚式
1/18 韓国で入籍
1/30 韓国で幤帛
2/2 日本で入籍
3/26 日本で極簡単に披露宴もどきの食事会
5/29 韓国でビザ手続き
6/28 ビザ到着
/29 再入国許可証の受給
結婚という儀式に伴い、私たちは、このように行事をこなしてきた。
が、この間、私たちの生活スタイル、「私は日本・彼は韓国」というものに変化はなかった。
なぜなら、2005年6月に思いがけないことが起こったからだ。
このことがひと段落するまで、私たちは、韓-日を行ったり来たりしながら、通い婚を続けることになった。
(この「思いがけないこと」とは、決して、双方の家族に問題があったということではない)
そして、9月も半ば、ようやくひと段落。
いよいよ今月2日、私は韓国にやってきた。
本当の意味での結婚生活のスタートだ。
・・・辛くなったら師匠との誓いを思い出しながら頑張るっ!
だって、私の生活の舞台は韓国なんだから!